水上 先生
お世話になります。
先生は長野県出身でしたか。ふるさとは遠くにありて思うもの、と言いますがその様なものなのでしょうか。
私は武石生まれの武石育ち。家から離れて暮らしたことは有りませんのでどうにも感じ方が判らないのですが、しかし居たままの人生かも知れませんが、農村の良さを自分なりに認め、この衰えていく農村・農業を何とかしたいとの思いで、この活動を行ってきました。
語り始めればこの何倍も語らないとお伝えしようとすることが出来ませんが、簡単に語らせて下さい。
切っ掛けは95年に経済開放されたモンゴルに7日間、交流協会のツアーで行ったことでした。世界で2番目に社会主義国になり、世界で最初?に自由主義国に移行したその国で、民間人と交流して過ごしてきたのでした。
首都ウランバートルから車に乗って30分も出掛ければ、見渡す限り周囲360度はそこは草一面の世界。遙か彼方に白い点が住民の住まい『ゲル』が見え、振り返って同じく遙か彼方にポツンと一点白いゲルが見えるモンゴル人の普通の生活している世界で、私達の滞在用のゲルを作り、ここで3泊して、彼等の暮らしぶりに触れてきたのです。
昼間は近在の家々を馬にまたがって訪れて暮らしぶりに触れ、夜は私達に馬を提供してくれた人達と酒を飲んで意見交換し、91年に経済開放されて、これからの国作りはどうしたらよいのか、どこの国を見習ったらよいのか。それぞれが一長一短のあるアメリカ、日本、ソ連、中国などを上げて夜が更けるのを忘れ語り合ったものでした。
これをやっている最中と、首都のウランバートルでストリートチルドレンの子供達から手を差し出され、つたない日本語で『頂戴』と物乞いされた事が今日の信州せいしゅん村の活動になる切っ掛けでした。
夜明けととに馬を乗り出し、日暮れと共に家に帰り、食事をして寝る。電気も水道もガスも無い環境の中で、何千年も繰り返してきた生活。時には馬を駆って、あの世界一の広大な領土を作りあげたモンゴル帝国の『元』を作り出した原動力の放牧生活の繰り返し。
大都会の真ん中で、お金に走った親に子育て放棄され捨てられた子供達が人口60万人の中で4~5000人とも云われ、思わず1ドル120円を上げた。このお金の価値は高級官僚の一日分。年間所得3万円の国民所得。
幸せって何だろう。ちょうど日本も国民の8割以上が中流意識を持って暮らしを謳歌していたのに、バブルが弾け、国民皆がお金を失い、自信を失い、下を向いて、『この先どうなるのだろう』と落ち込んでいた時代に、カルチャーショックを受けたものでした。
豊かさって何なのだろう。お金かな?人の心かな?
お金を失って自信喪失の日本人。お金に走って捨てられたモンゴルの子供。何千年も毎日夜明けと共に動きだし、働いて帰ってきて団欒する放牧生活。
先進国と云われる日本人が手を差し伸べたくなって、モノを上げようかと思っても、文明のモノは使えるところが無い放牧生活。
私は新調していったシャツを交換して、彼のシャツを帰国して4年間ぐらい農作業で着ていました。ついには女房には捨てろと云われてしまいました。
お金だけが人生ではない。会社だけが人生ではない。
これからの時代、心の豊かさだって必要で、その大切さを伝えることも必要な仕事ではないかと思い、自信を失っている日本で、心の豊かさの大切さを求めていきたいと思って帰国したのでした。
ほっとステイも9年目になって痛切に感じることは、人間の生きる原点=食べなければいけない。食べるには食を得ることであり、それは農が育むこと。その日本の農の現状を見て、気付いて欲しい。・・・・・と色々と有りますが。
そして、人間は自然界の一員であるのに、自然界の決まりの『思い通りに行かないのが自然。不揃いが当たり前が自然』を忘れ、不・自然な事に邁進している人の多いことか。学んでいる人みんなが東大には行かない、行けない。でもそこを目指して暮らし、人間性を忘れて、親子・師弟関係を破壊してしまった家族生活や学校生活。
人間が崩れていくようで、いてもたってもいられなくなってきています。
大切な人との繋がりや、自然との繋がりを、接して悟って欲しいと『ほっとステイ』で受け入れる中で願っています。
失礼なたとえ方ですが、いまわの時を迎えることが近づいて、自覚はしていないと思うのですが、自分の人生を語って伝えて若者に教訓としてこれからの人生に役立てて欲しいの思いのお年寄りの体験談や、一緒にする農作業で食を得る大変さ、散策で自然に触れてその包容力の有り難さ、を実感して欲しいと願っています。
私は来る人に、これらに対して大きな理解を要求はしません。 これらの気付く切っ掛けになってくれれば最高としています。
お気軽にお越し下さい。
宜しくお願い致します。
せいしゅん村活動の切掛け。モンゴル体験
水上 先生
お世話になります。
先生は長野県出身でしたか。ふるさとは遠くにありて思うもの、と言いますがその様なものなのでしょうか。
私は武石生まれの武石育ち。家から離れて暮らしたことは有りませんのでどうにも感じ方が判らないのですが、しかし居たままの人生かも知れませんが、農村の良さを自分なりに認め、この衰えていく農村・農業を何とかしたいとの思いで、この活動を行ってきました。
語り始めればこの何倍も語らないとお伝えしようとすることが出来ませんが、簡単に語らせて下さい。
切っ掛けは95年に経済開放されたモンゴルに7日間、交流協会のツアーで行ったことでした。世界で2番目に社会主義国になり、世界で最初?に自由主義国に移行したその国で、民間人と交流して過ごしてきたのでした。
首都ウランバートルから車に乗って30分も出掛ければ、見渡す限り周囲360度はそこは草一面の世界。遙か彼方に白い点が住民の住まい『ゲル』が見え、振り返って同じく遙か彼方にポツンと一点白いゲルが見えるモンゴル人の普通の生活している世界で、私達の滞在用のゲルを作り、ここで3泊して、彼等の暮らしぶりに触れてきたのです。
昼間は近在の家々を馬にまたがって訪れて暮らしぶりに触れ、夜は私達に馬を提供してくれた人達と酒を飲んで意見交換し、91年に経済開放されて、これからの国作りはどうしたらよいのか、どこの国を見習ったらよいのか。それぞれが一長一短のあるアメリカ、日本、ソ連、中国などを上げて夜が更けるのを忘れ語り合ったものでした。
これをやっている最中と、首都のウランバートルでストリートチルドレンの子供達から手を差し出され、つたない日本語で『頂戴』と物乞いされた事が今日の信州せいしゅん村の活動になる切っ掛けでした。
夜明けととに馬を乗り出し、日暮れと共に家に帰り、食事をして寝る。電気も水道もガスも無い環境の中で、何千年も繰り返してきた生活。時には馬を駆って、あの世界一の広大な領土を作りあげたモンゴル帝国の『元』を作り出した原動力の放牧生活の繰り返し。
大都会の真ん中で、お金に走った親に子育て放棄され捨てられた子供達が人口60万人の中で4~5000人とも云われ、思わず1ドル120円を上げた。このお金の価値は高級官僚の一日分。年間所得3万円の国民所得。
幸せって何だろう。ちょうど日本も国民の8割以上が中流意識を持って暮らしを謳歌していたのに、バブルが弾け、国民皆がお金を失い、自信を失い、下を向いて、『この先どうなるのだろう』と落ち込んでいた時代に、カルチャーショックを受けたものでした。
豊かさって何なのだろう。お金かな?人の心かな?
お金を失って自信喪失の日本人。お金に走って捨てられたモンゴルの子供。何千年も毎日夜明けと共に動きだし、働いて帰ってきて団欒する放牧生活。
先進国と云われる日本人が手を差し伸べたくなって、モノを上げようかと思っても、文明のモノは使えるところが無い放牧生活。
私は新調していったシャツを交換して、彼のシャツを帰国して4年間ぐらい農作業で着ていました。ついには女房には捨てろと云われてしまいました。
お金だけが人生ではない。会社だけが人生ではない。
これからの時代、心の豊かさだって必要で、その大切さを伝えることも必要な仕事ではないかと思い、自信を失っている日本で、心の豊かさの大切さを求めていきたいと思って帰国したのでした。
ほっとステイも9年目になって痛切に感じることは、人間の生きる原点=食べなければいけない。食べるには食を得ることであり、それは農が育むこと。その日本の農の現状を見て、気付いて欲しい。・・・・・と色々と有りますが。
そして、人間は自然界の一員であるのに、自然界の決まりの『思い通りに行かないのが自然。不揃いが当たり前が自然』を忘れ、不・自然な事に邁進している人の多いことか。学んでいる人みんなが東大には行かない、行けない。でもそこを目指して暮らし、人間性を忘れて、親子・師弟関係を破壊してしまった家族生活や学校生活。
人間が崩れていくようで、いてもたってもいられなくなってきています。
大切な人との繋がりや、自然との繋がりを、接して悟って欲しいと『ほっとステイ』で受け入れる中で願っています。
失礼なたとえ方ですが、いまわの時を迎えることが近づいて、自覚はしていないと思うのですが、自分の人生を語って伝えて若者に教訓としてこれからの人生に役立てて欲しいの思いのお年寄りの体験談や、一緒にする農作業で食を得る大変さ、散策で自然に触れてその包容力の有り難さ、を実感して欲しいと願っています。
私は来る人に、これらに対して大きな理解を要求はしません。
これらの気付く切っ掛けになってくれれば最高としています。
お気軽にお越し下さい。
宜しくお願い致します。