台中発9時15分発高鉄で台北に移動。全員が抱えきれない荷物を昨夜は頂いたので持っている。入れ物をどうしようと云っている。
台中駅10;06着。バスに乗り込んで11時、台北一の名門市立の靜心国民小中学に到着。 懐かしい秘書長が門でお迎えしてくれ、校舎入り口で校長先生も迎えに出てくれた。日本語を学びだしていると云う顔見知りの林先生も来て呉れた。
応接に通されてすぐにビデオを見せてくれ、冒頭には小林先生・・・・と書かれていてしかも、私がここの学校の代理で気仙沼に届けた義援金の贈呈風景を送った写真を上手にまとめてあり、思い出させられ思わず涙。校長先生も目頭を押さえていた。
挨拶でそれらが相まってジィーンときて言葉を詰まらす。ここでは最初に3・11の震災支援に対しての観光庁のサンキュージャパンのポスターと粗品をお渡しし、知事からの親書をお渡ししさせて貰う。校舎案内をして頂き予定より10分遅れでお別れする。秘書長が8月には行きたいと云って呉れていたので、コース提案をしますからと返事をさせて貰う。
12時20分に華僑実験高級中学に到着。校長先生が昼食を招待してくれた席に、来日した学生たちが陣取っていて、ここに受け入れ家庭が合流。賑やかな食事が始まる。私も顔見知りの先生方が一杯で固い握手の連続。良いもんだ。
授業が始まるので教室に戻る際には抱き合うシーンだらけ。日本語が上手な学生さんは残って通訳してくれたが、上手い訳だ。日本人留学生だった。全学生で20人ぐらいはいると云う。ここは帰国子女が4分の1もいるそうです。
体育館や敷地を案内して貰い、校舎に入って贈呈式。知事親書をお渡しし、観光庁のポスターを進呈。持参したお土産類をお渡しする。大幅に遅れて2時20分を回って学校を出る。
台北市内観光。龍山寺を見てから忠烈祠に向かう。ここは直立不動で1時間立ち尽くして守る衛兵の交代式が丁度4時になる様に行ったのでを見る事が出来た。
そして蒋介石の国立中正記念堂、台湾で一番高い建物台北101を見て、夕食会場の北京料理・北京ダックの聚馥園に8時に到着。
先日玉山に登った金井さんと同行してくれた3人も含め、台北市山岳協会の一行8人と夕食会。富士山に5回、4回・・・と登ったと云う人が沢山いて、矢張りなですね。アフリカ一のキリマンジャロに登りたいと云っていた。5年前にHSした葉士平君も元気な顔を出してくれた。
この会の長老は、長野県山岳協会が1991年にヒマラヤ遠征して雪崩に巻き込まれ遭難した際に救助してくれたそうで、その時の信濃毎日新聞が掲載されている冊子を持参して見せて呉れたのでコピーをとらせて貰う。知事親書をお渡しし、10時に解散。
台北で静心学校。華僑実験高。市内観光。山岳協会夕食
台中発9時15分発高鉄で台北に移動。全員が抱えきれない荷物を昨夜は頂いたので持っている。入れ物をどうしようと云っている。
台中駅10;06着。バスに乗り込んで11時、台北一の名門市立の靜心国民小中学に到着。 懐かしい秘書長が門でお迎えしてくれ、校舎入り口で校長先生も迎えに出てくれた。日本語を学びだしていると云う顔見知りの林先生も来て呉れた。
応接に通されてすぐにビデオを見せてくれ、冒頭には小林先生・・・・と書かれていてしかも、私がここの学校の代理で気仙沼に届けた義援金の贈呈風景を送った写真を上手にまとめてあり、思い出させられ思わず涙。校長先生も目頭を押さえていた。
挨拶でそれらが相まってジィーンときて言葉を詰まらす。ここでは最初に3・11の震災支援に対しての観光庁のサンキュージャパンのポスターと粗品をお渡しし、知事からの親書をお渡ししさせて貰う。校舎案内をして頂き予定より10分遅れでお別れする。秘書長が8月には行きたいと云って呉れていたので、コース提案をしますからと返事をさせて貰う。
12時20分に華僑実験高級中学に到着。校長先生が昼食を招待してくれた席に、来日した学生たちが陣取っていて、ここに受け入れ家庭が合流。賑やかな食事が始まる。私も顔見知りの先生方が一杯で固い握手の連続。良いもんだ。
授業が始まるので教室に戻る際には抱き合うシーンだらけ。日本語が上手な学生さんは残って通訳してくれたが、上手い訳だ。日本人留学生だった。全学生で20人ぐらいはいると云う。ここは帰国子女が4分の1もいるそうです。
体育館や敷地を案内して貰い、校舎に入って贈呈式。知事親書をお渡しし、観光庁のポスターを進呈。持参したお土産類をお渡しする。大幅に遅れて2時20分を回って学校を出る。
台北市内観光。龍山寺を見てから忠烈祠に向かう。ここは直立不動で1時間立ち尽くして守る衛兵の交代式が丁度4時になる様に行ったのでを見る事が出来た。
そして蒋介石の国立中正記念堂、台湾で一番高い建物台北101を見て、夕食会場の北京料理・北京ダックの聚馥園に8時に到着。
先日玉山に登った金井さんと同行してくれた3人も含め、台北市山岳協会の一行8人と夕食会。富士山に5回、4回・・・と登ったと云う人が沢山いて、矢張りなですね。アフリカ一のキリマンジャロに登りたいと云っていた。5年前にHSした葉士平君も元気な顔を出してくれた。
この会の長老は、長野県山岳協会が1991年にヒマラヤ遠征して雪崩に巻き込まれ遭難した際に救助してくれたそうで、その時の信濃毎日新聞が掲載されている冊子を持参して見せて呉れたのでコピーをとらせて貰う。知事親書をお渡しし、10時に解散。