2008年4月 9日

●寒晒しのお酒のラベル

ほっとステイ冬バージョンパンフへの掲載情報について、各地のメンバーと連絡を取り合う。今まで進めてきたバージョンでは駄目だということが分かったので、大至急手を入れて直さないといけないので大変です。時間があっという間に過ぎて行ってしまいます。

奈良の横井先生から寒晒しのお酒のラベルの件でメールが入っていた。先生が本気になって作っていただけるとのことで、あり得ないような有り難いお話で感激です。よろしくお願いいたします。

午後長和町の山口さんの所へ行って、農作業委託料金の支払と種モミ8kgを買ってくる。その際にほっとステイの受け入れ家庭になて頂く件をお願いしてみると、良いことだから受け入れしますよと返事を頂く。お世話になりますすがよろしくお願いいたします。

もう直に味噌仕入れを行うので穀櫃から大豆を取り出し、選別や量を測る準備をする。上田の柳沢さんからも大豆10kgを頼まれているので量る。

2008年4月 6日

●霧ヶ峰~諏訪湖へ下る

飯前に露天風呂に入浴。朝寝・朝酒・朝湯と云いますがその気持ちがわかりますね。8時から朝食。
お袋さんは外の露天風呂がジャグジーになっているのを昨夜見て、温泉が沸騰して湧いて出ていると勘違いして入らなかったが、今朝は弟のお嫁さんが入っているのを見て入ってみたらとても気持ちよかったと、冗談交じりで話して呉れてみんなで大笑い。玄関先で記念撮影をしてそれぞれ帰路に。

私達は霧ケ峰高原から諏訪へ下るルートを行くことにする。初めてのコースの道路です。どこの降りるのか判らなかったのですが、急な坂道を下って行くと見覚えのある交差点。ここだったんだ。

諏訪湖の港でで一休み。諏訪湖を一周してみたら40分掛かった。その後昼食。

帰宅後2時過ぎからトラクターで春野菜を作る畑を起こす。タマネギを植える場所も起こす。そのあと果樹園の残っていた木の消毒と我が家の庭の消毒をする。農作業も進んできました。

2008年4月 5日

●諏訪ロマネット 両親の結婚記念日

朝、風のない中を昨日出来なかった場所の消毒に行ったら桶やホースの中が凍っていて出てこない、消毒作業ができずに退散。予想を超える寒さだったんですね。

両親の結婚記念日と母親の退院祝いを兼ねて、名古屋や平塚から兄弟家族が集まり、揃って宿泊しようと云うことになって、私達は10時、我が家を出発。岡谷のロマネットへ行って入浴。気持ちの良さが有ってか、皆で2時10分まで寝込んでしまう。疲れているんでしょうね。

3時にはホテルに行く予定だとほかの者に伝えていたので、慌てて車山のホテルへ向けて出発。途中で電話連絡をしてみたら他も遅れるようで一安心。3時30分に到着。

皆を迎えて6時に夕食。洋食のコース料理は両親にとっては不満足なようだった。反省します。盛り上がって11時過ぎまで騒いでいたようだった。(私は寝込んでしまって判らない)

2008年4月 4日

●義弟がやって来た

昨日アドバイスを戴いた『ほっとステイ冬バージョン』のパンフを修正する。

東京の義弟が11時前に、農作業をやりにやってきた。しばらく来なかったのですが、ベトナムの仕事が片づいて帰国できたので来ましたと云っていたが、武石に農作業をしに来るのが気分転換になるし、帰りは温泉巡りをしてお湯に入れるので一番良いですと。

お茶のみ後、私がトラクターで畑を起こし、女房達がハコベの種がこぼれると大変になるからと、私の前を先だって草取り作業。トラクターに追われて忙しかったと思います。気にしていた畑の草退治が出来て一安心。1時前に帰宅昼食。

ヤマゴボウの掘り取りもやって貰い、ゆっくりとお茶を飲み、5時前に義弟は帰路につく。お土産は野菜しかないのですが、冷蔵庫に入りきらないので、と沢山持って行っては呉れないので困ってしまいます。このやり取りが笑い話のようで面白いですよ。家族全員で笑い転げてしまいます。

夕方果樹園の消毒を行う。石灰硫黄合剤で最低限これをやっておかないと駄目なので毎年やっています。硫黄ですから硫黄臭がひどくて嫌われてしまいますし、作り物(野菜)に付着すると取れず、匂いも残りますので細心の注意を払って消毒しています。今回も風向きが東風になってしまい、西側のお宅にネギが植えられていましたのでその部分だけは散布せずに明日の朝行うことにする。

パンフを長野県観光協会へ送っておいたら恵崎常務から電話が入る。『これはインバウンドに使えるから使わして下さい』と云われ、そこまで使って頂けるとは有り難いお話しで、そんな意向があればと、もう少し趣旨に合わせた訂正をする事にします。


2008年3月22日

●春種を購入、屋根張り、剪定枝片付け

9時、春野菜の種類を買いに上田の種苗屋さんへ行く。百姓が苗を買っていたら高くついてやっていられませんね。本当は種も自分で種取りしないと駄目ですが、そうにならないものもあります。ジャガイモのシンシア、インカのめざめ、レッドアンデス、十勝コガネ、カボチャ2種類、トマト2種類、赤カブを購入。取り寄せも頼んでくる。

ご主人に『この間の教本を人様に差し上げても良いですか』と尋ねられる。ふるさと回帰予備校の教本が出来上がった時に2冊差し上げてあったのですが、詳しくお聞きしたら「東京上田会」の人たちに差し上げたいとのこと。丁度持っていたので、どうぞと言って10冊を差し上げる。役に立ってくれれば良いですね。

9時45分、信州銘醸さんへ寄って、『the幸村』を1本頂いてくる。明日の東御市の『道の駅・雷電の里』で長野県主催のイベントがあり、そこでお店側に試飲してもらうつもりです。イベントではマップと教本を配ります。

帰宅してお茶を飲んだ後、ジャガイモを寒に合わせて芽を緑化催芽させる為に展開。そして、昨日、大風が吹いて、我が家の裏の畑に立ててある小屋の屋根が飛んで、舞い落ちてしまったので、お昼すぎの12時30分まで掛かって屋根張り直し工事。頼れるのは女房だけ、感謝感謝で雨霰です。

午後は果樹園で選定枝の片付け。先日もやってあるのですが、夕方まで掛かって、軽トラに2台、満載で運ぶ。今日やってもう少し。早く病害虫防除に最低限の、硫黄合剤を散布しないと手遅れになってしまうので、気が気ではないです。


2008年3月 9日

●果樹園で剪定枝を拾い集める

朝、堀さんが分析用のお米を取りにやってくる。留守中の仕事を片づけるのに半日もかかってしまう。嫌になります。

名古屋マラソンをテレビ観戦。初マラソンの中村選手が優勝し、目標に向かってひたむきに、他者をあまり気にせずやり抜く姿に、何か私たち信州せいしゅん村と同じ環境を感じてしまう。

午後から、昨日切り倒した木の枝と以前から剪定していた枝を拾い集める。結構しゃがみ込んだり立ち上がったりの作業は思った以上の重労働です。

4時45分から、大高木さんと袋詰めしておいた寒晒し蕎麦を軽トラックで運びに行く。28袋と32袋の60袋。小屋の中に運び入れておく。夕方までかかって終わらせ、その後、12日の大阪商談会の意見交換。

2008年3月 8日

●果樹園で不要樹を切り倒す

9時過ぎから、小さいハウスで乾燥していた、堀さんから届いた玄蕎麦の、寒晒しした蕎麦の実をふるいに掛けて大ゴミと石を除き、次に唐箕を掛けて風選し、小ゴミと砂と鳥の糞を除き、仕上げ作業を行う。

午後は取り込み作業を大高木さんも手伝った呉れ、蕎麦を秤に掛けて、袋に22.5㎏ずつ詰める。結構な仕事量でした。6袋もあった。

その後、果樹園でチェーンソーを使って、不要樹を切り倒す。私が農薬散布が嫌いなもので、どうしても木が傷んでしまいます。これがゆえに、切り倒すことが私の責任だと反省し、罪のない木を切ることは涙のでる作業で、とても辛いですね。暗々迄(暗くなり始めるまで)やって帰宅。
 
夜7時から、のうのうの会。今回は参加者は6人。意気軒昂に話し合う。特に宮下さんのジャム作りに対する熱意や見識には目を見張ってしまいます。

2008年3月 2日

●一日中、果樹園

日本農業新聞の朝刊記事に、私がブログに昨日書いた蕎麦の収穫量の事が、『山形県が独自支援』の見出しで第一面に載っていましたよ。そこには山形県の平均収量は47kg、全国平均は60kgで、山形県では栽培に力を入れて、収量を上げるために補助金を支給しますとの内容だった。

そこで改めて農水省のデータベースを検索。昨年08年は主産県の平均は69kg、山形は55kg、長野県は81kgとなっていました(さすが信州!)。昨日のお店も収穫目標を訂正しないといけないですね。

今日は一日中果樹園で剪定作業。遅くなってしまうと木に負担がかかってしまうので、もっと早くやらないといけないのですが、用事がありすぎて出来なくって困っていました。何故早くやらなければいけないかというと、木が水を吸い上げはじめてきてから枝を切ると、その切り口からポタポタと樹液が滴り落ちるのです。人間でいえば出血している状態かな。止血が出来ないと死んでしまいますね。だから果樹の生命活動が休止している冬の間にやるのです。

我が家の果樹園は、愉しむ果樹園ですからたくさんの種類の果樹を植えてあります。桃、カリン、梅、ナシ、リンゴ、サクランボ、サルナシ、ブドウ、洋ナシ、柿、キウイ。

皆さんは知っていますか。イギリスでは『紳士の嗜み』として果樹園の手入れをしているそうで、こだわりのジャムやチーズやジュースや・・・いろいろな自慢をし合っているらしいですね。果樹園での作業が、普段の生活と違いストレスを解消させることに繋がることになっているようです。兎に角、農産物を自分で栽培して収穫し、自分で加工して自家用にしたり周りに配ったり、農業を楽しんでいるようです。

ところでイギリスは1961年には食料自給率が42%まで割り込んでいた国ですが、1996年は79%の最高値を記録し、2002年はちょっと下がりましたが、なんと74%になっています。自給率はイギリスの国策で高まったのですが、人々の農業への関心が高まり、イギリスの皆さんが農業への取り組みを改めてやり始めたからでしょうね。色々と積み重なった結果がイギリスでは良い方向になったので、紳士の嗜みから生み出される『こだわりの品』ができるのですね。羨ましい。

日本もこれからこのような事への強まりが始まるのではないでしょうか。農業が見直されますよ。皆さん始めませんか。信州せいしゅん村では、このような方にお手伝いをしています。お気軽にお尋ねくださいね。

2008年2月29日

●事務所で話が弾む

朝一番で武石地域自治センターに『ふるさと回帰予備校』の教本を届ける。そのあと商工会に同じ様に届け、教育事務所にも届ける。

教本を送り届けるリストを作成。各所に送る。どんな反響が寄せられるか楽しみです。

〔じゃむや:宮下〕さんが、毎日新聞への広告掲載について相談に来る。宮下さんだけで負担して広告を出すか考えてみたいとのこと。ただ広告は統一した名称を使った方が広告効果が上がるとの認識では一致。今後どうするか検討をしていくことになる。

信州大学感性工学科の上条先生と、今計画している桃源郷街道の評価判定について、明日の1時30分からの研究会に先立って、10時から信州大学の繊維学部の研究棟でお会いし、話をすることになる。工業試験場の北沢さんも同席して貰うことになる。こちらも吉澤さんと大高木さんが同席して話し合います。

3月4日に県観光協会主催の九州での商談会が行われるが、その足で5・6日に訪れる熊本の県立高校が入試で訪問できないことが判って大慌て。青木の宮下さんたちは大分県に訪問先を変更することになったが、私たちだけは熊本の私立高校へ行くことになり、複雑な心境です。

〔ぶどうや:鈴木』さんが、寒晒し作業の件で、午後一番で打ち合わせに立ち寄る。広告方法や法人化、農作業、農法、品種の話が弾み、長引いてしまい3時を回って帰る。冬だから暇だそうです。

奈良の横井先生より内閣府の行う予定の事業の資料が送られてくる。読んでみると私たちが目指している方向に合致しているのですが、申請して採択してもらうには大変な仕事になると思う。
良く考えてみないといけないです。

依田窪南部中学校の依田教頭先生と来年度の授業で、協力してやることができないか検討していますと呼びかけられる。是非やりましょうと返答する。

2008年2月25日

●寒晒し米のグルテリン分析依頼

9時に大高木さんがやってきて寒晒しについて打ち合わせ。引き続いて新潟県の農水省北陸センターへ電話して、低タンパクのお米で、低グルテリンの『春陽』を寒晒しにしたので、公表されている数値のグルテリンが、寒晒ししてどう変化したか分析してほしいと依頼し、受けて貰えることになる。10日から2週間ぐらいで分析して貰えるそうです。どんな数値が出るか楽しみです。

3時過ぎ、昨日伯母さんのところに取り付けたテレビが、分波器が別売りとなっていて、良く映らない不完全な状態なので、部品を買い入れて施設へ。

伯母さんのところで部品を取り付けたらハッキリと映った(当たり前?)。テレビが見られるようになったのはいいが、ベットで枕を下に、テレビを見ようとすると、テレビの置いてある位置が悪い。そこでベットを移動して位置を入れ替えることに。なんでもやりますよ。

帰宅して果樹園に出かけて行き、切り倒す木を見て歩く。消毒回数が少ないのでどうしても木も傷んでしまいます。切ったあとにはサクランボと栗を植える予定です。

〔だんちょう:掛川〕さんと久し振りに電話で話す。今日は市民会館が休みで、館長の掛川さんが休みなのは判っていましたので電話したのです。寒晒し蕎麦の『蕎麦食事会』を近いうちにやろうと丸子の人たちが云ってきたので、対処しようと話す。近々やる手はずを整えようと云うことになる。

6時過ぎ、〔こいみそや:安部〕さんが、手作り味噌2キログラムを持って来てくれた。東京の〔東京オフィス:磯野〕さんから依頼されたものです。お米も一緒に頼まれ、寒晒し米を送るつもりです。

安部さんは味噌作りに取り組んでいたのですが、今後は少しは味噌作りは続けるが、撤退してテンペ作りに精進していきたいのだそうです。『安売りされている価格からみれば4倍もするわけですが、生モノだから売る時期が限られてしまうし、原価計算すればこうなってしまう』。『自分で無農薬で大豆を作り、お米も武石産を使って仕込んでいるのでのこうなってしまいますよ』。だから味噌を売っての生活は成り立たないと受け止めざるをえないと考えているそうです。『農業は難しい、どんなに努力しても生活できていかないので、やっていかれない。子はかすがいといいますが困ったものですよ』。含みのある言葉を残してお帰りになる。


2008年2月23日

●寒晒し純米酒の契約

8時20分、大高木さんがやってきた。寒晒し純米酒『The幸村』の醸造依頼契約を丸子の信州銘醸さんとする予定なので来て貰ったのですが、なかなか来ない。昨日の顛末をいろいろと話していても来ないので9時10分に電話。予定の人は、土曜日なので遠慮してわざわざ来なかった様です。

9時40分、漸くやってきて、醸造依頼の細かいことを取り決めしようと話しを始めようとしたら、先日持ち込んだ時に私が『今年は昨年の試験醸造価格と違い、量産するので100円ぐらいは安くなるのかな』と言っていたことを受けて、『安くならないのです。なお高くなってしまいます』とのことで、説明を受ける。納得するしかなかったです。

今年は1000本ぐらいできそうです。契約内容は昨年と同様、売れ残った分は私たちが引き取ることになります。これも仕方ないですが、ここまで受け入れて貰える酒屋さんは有りませんので、贅沢は言っていられません。皆さん、味は昨年以上だと保証しますから、ぜひお買い上げください。今年は信州銘醸さんもThe幸村の売り込みに秘策を練っていただいているようで、とてもありがたいことです。1時間してお帰りになる。

お米の分析の件で大高木さんと話し合い。昨日の断りにくじけずに依頼先を探し、結果を出していこうということになった。

昨日のおんたけ村でのほっとステイ事業の総会について、多くの皆さんが思い違いをしている部分がはっきりしてきたので、電話にて話し合う。早急に解決していくことにしていきたいと連絡をし、近いうちに会合を持ちたいと思います。

ほっとステイの件で青木の宮下さんから電話が入る。2回続きのお葬式で1週間費やしたが頑張りますと云っていた。私も頑張って取り組みますのでよろしくお願いします。外は大荒れの天気で、吹雪が舞い散る天気になってしまった。

3時に婆ちゃんと病院へ行っていた爺ちゃんから電話が入り、『婆ちゃんが緊急入院することになった』と連絡が入る。朝から頭が痛くて痛くて困ったと言って、診て貰いにいくと出かけて行ったのでしたが、最悪のことになってしまい、慌てて病院へ出かけて行くと、相変わらず痛がっていたが、話ができる状態で一安心。1~2週間入院して様子を見るようです。

5時、真壁さんの「こっこちゃん(鶏)」に、昨日精米して出た「米選下」の屑米を餌として、二袋持って行く。私の米作は消毒を掛けないので、どうしても病気が発生し、歩留まりが悪く、1割位出るのが悩みです。

2008年2月15日

●集金&蜂蜜

休み明けの手配をして、10時に社会福祉協議会の担当者との話し合いに臨む。11時40分に終わり帰宅。

昼食前にやりかけていた工事代金の請求書を作り、昼食を急いでとり、上田のお客様の家に出向く。1時40分にお伺いし、お茶をいただきながら説明をし、振り込んでいただければ結構ですと話すと、用意をしてありますので集金していってくださいと言われ、ありがたく集金をさせてもらう。

3時に『蜂蜜』の件でお店に顔を出す。この蜂蜜は水飴が7割ぐらい入った不良品というか不正品で、とんでもない商品なので、抗議をしてあったのでお店に伺ったのですが、お店の仕入れ担当者はこれを販売者に送って調べて貰いますというので、あいた口が塞がらない。

販売者にこれを渡せば、私が気がつき、直接話したときに、『うちはそんなことありません』と言っていた相手なのですから、不正なんか正直に分析するわけがない。こちらで引き取って保健所に持ち込む。保健所では食品衛生でなくて、農政の食品表示の不正ですということで、農政の担当者とお会いすると知っている人だった。農水省を経由した対応になりますという返事で、了解して辞する。

5時30分、中川大工さん宅で欅の彫刻材の件で話す。

2008年2月 4日

●中学校の評価委員会

昨日の残り雪が5センチほど降った。

午前中はネギとタマネギを蒔く。乾ききった土なので、水をバケツに20杯も運んで湿らし、そこに種まきをする。12時前ギリギリに終わる。

午後は屋根の雪下ろしと『ほっとステイアルバム』の作成。

3時からの地元中学校『依田窪南部中学校』の学校評議員会に出席。引き続き4時30分より、学校評価委員会が開催され、6時10分過ぎに終わり。先進的な取り組みをしていこうとする意欲が感じられる姿になってきて喜ばしいことです。学校長がやる気があればできるものですね。恐ろしく長く時間が掛かってしまったが、私が意見を喋りすぎたかな。反省します。

2008年2月 3日

●ミュージカル真田幸村

大雪だ。降雪12センチ。
8時過ぎから、育苗ハウスの水分補給と耕耘作業。転圧作業と地均し作業。これで種まき準備が完了。11時10分前に終了。

11時10分に家を出て、上田の『珈琲哲学』で昼食。13時に市民会館に到着。開演1時間前なのに既に満員状態で上手く座れる所がない状態。

真田陣太鼓の演奏を聴いて、14時からいよいよミュージカル『真田幸村』。初めてミュージカルを見たが結構いいもんですね。見終わって、帰宅は5時になった。

2008年2月 2日

●育苗ハウスの準備

9時に上田の大島さん宅へ行き、ふるさと回帰予備校の看板を依頼してくる。樋口種苗でネギとタマネギの種子を購入。10時に水野さんの事務所へふるさと回帰予備校の教本原稿の訂正版を持って伺う。初めて社長室へ通して頂き感激だと話したら大笑い『そうだっけ?』

午後は13時におばさんの入院している病院へ伺い、担当の金井さんと今後の施設入所について話し合い。おばさんも漸く自分の状況が判ってきて、以前とは違う捉え方をしてくれるようになった。

夕方まで裏の畑の種を蒔くハウスの片付け作業。暗くなる前に終わった。明日は播種するところへ水分補給を土地にしてやらないといけない。

2008年1月13日

●久し振りの兄弟再開

鈴木さんが朝一番で「寒晒し」をやっているところに架けた遮光ネットの領収書を持ってやってくる。代金を支払いながら、昨夜の『のうのうの会』には出席してもらえなかったので会議の内容を伝える。これからの販売計画で体制を整えて、みんなで広告を作って売っていこうと協力を求め、ぜひお願いしますと快諾を貰う。

信州せいしゅん村のホームページをリニューアルしようと、10時過ぎ息子から電話が入り見直しを始める。以前からやろうやろうと言いながら時間がたっているので、当初計画を見直してみれば今の活動状況と大分違い、驚くぐらい活動が進んでいるなあと実感。計画を練り直して進めていきます。 

お昼に東京のおじさんがお墓参りを兼ねて3人でやってきた。久しぶりの里帰りでお昼をゆっくりと召し上げっていただく。帰ったら入れ替わりに名古屋の弟夫婦が依田窪病院に入院しているおばさんをお見舞いにやってきて、我が家にも年始で来てくれた。近くの弟夫婦も読んで話っぱらう。

ふるさと回帰の本の原稿を書く。ようやく6番目まで進んできた。手間がかかります。

2005年7月17日

●側溝が見えなかったって


夜明けと共に今朝もカボチャの交配。
午前中ナシの袋掛け。早生の桃が収穫になった、
埼玉の叔父さんが車を側溝に落としてパンクをしてしまう。スタンドでタイヤ交換。
お見舞い客が帰る。
夕方から又カボチャの交配、疲れるねー。

2005年7月 1日

●スイートコーンを定植

スイートコーンを定植。 8時過ぎ、昨日の怪我の子供さんが診療所に見える。立ち会う。
午前中はタマネギの後かたづけ。午後、トマトの縛り付けを行うが 3時過ぎに雨が降り出し
中止。 そのあと受け入れ家庭に支払いに歩く。