2008年4月10日

●モミ種の温湯消毒を女房が

9時上田市役所観光課に行って、観光会館の隣接地の土地建物売買に関して話し合いに臨む。今日は上田市側が不動産鑑定士からの鑑定結果に基づき購入価格を提示してもらったのです。思った通りの不満のある価格提示だった。市側は更地価格で買いたいとのこと、これでは話になりませんね。売り主側は建物の評価や営業権の評価もして欲しいと願っているので全く相いれない価格でした。

売り主宅へ行って報告。案の定、上田市へは売却を断念する方向で考えを進めて行ってみたいと云われた。

10時40分、水野さんの事務所で新ほっとステイパンフの進み具合と出来上がった部分までの確認作業をする。着々と進んでいます。

11時45分帰宅し、この冬作業した寒晒し蕎麦粉を使って打ってみて、それを大高木さんと鈴木さんの3人で試食してみる。一番うまいのはやっぱり寒晒し蕎麦だった。当たり前!

2時過ぎ、丸子の伯母さんの一時帰宅について、『いこい』のケースワーカーさんと相談。12日・13日にすることになった。

この打ち合わせに行っている間に、女房が種モミ・お米の温湯処理消毒をやってくれてしまっていた。サンキュー。

夜8時過ぎに水野さんが出来上がったパンフ原稿を持って来てくれた。何回も足を運んでもらってすみませんね。もうひと頑張りです。

2008年4月 4日

●義弟がやって来た

昨日アドバイスを戴いた『ほっとステイ冬バージョン』のパンフを修正する。

東京の義弟が11時前に、農作業をやりにやってきた。しばらく来なかったのですが、ベトナムの仕事が片づいて帰国できたので来ましたと云っていたが、武石に農作業をしに来るのが気分転換になるし、帰りは温泉巡りをしてお湯に入れるので一番良いですと。

お茶のみ後、私がトラクターで畑を起こし、女房達がハコベの種がこぼれると大変になるからと、私の前を先だって草取り作業。トラクターに追われて忙しかったと思います。気にしていた畑の草退治が出来て一安心。1時前に帰宅昼食。

ヤマゴボウの掘り取りもやって貰い、ゆっくりとお茶を飲み、5時前に義弟は帰路につく。お土産は野菜しかないのですが、冷蔵庫に入りきらないので、と沢山持って行っては呉れないので困ってしまいます。このやり取りが笑い話のようで面白いですよ。家族全員で笑い転げてしまいます。

夕方果樹園の消毒を行う。石灰硫黄合剤で最低限これをやっておかないと駄目なので毎年やっています。硫黄ですから硫黄臭がひどくて嫌われてしまいますし、作り物(野菜)に付着すると取れず、匂いも残りますので細心の注意を払って消毒しています。今回も風向きが東風になってしまい、西側のお宅にネギが植えられていましたのでその部分だけは散布せずに明日の朝行うことにする。

パンフを長野県観光協会へ送っておいたら恵崎常務から電話が入る。『これはインバウンドに使えるから使わして下さい』と云われ、そこまで使って頂けるとは有り難いお話しで、そんな意向があればと、もう少し趣旨に合わせた訂正をする事にします。


2008年4月 3日

●大阪。滑り込みセーフ

5時30分に家を出て松本へ。7時05分の中央線しなの2号に乗って名古屋。名古屋からひかりに乗って新大阪、そして大阪駅に到着。

地下鉄に乗り難波駅で下車。11時30分過ぎ、私達信州せいしゅん村が玄蕎麦を供給している蕎麦屋さん、『寒晒し蕎麦・芦生(あしう)』さんへ顔出し。どんなところで商売をやっているのか、どんな売り方で商売をやっているのか知りたくて行ったのです。

予想を超える形で商売がされていて驚きました。外観、内部の設え、雰囲気どれもこれも大したものでした。なるほど2号店を出したいと行っているのが判ります。これなら安心して取引が継続できます。

1500円の蕎麦定食を注文してふと目を上げるとテーブルの上には私達の『寒九郎』と『the幸村』が並べられていて、涙が出るぐらい嬉しくなりました。ここの人を裏切るわけにはいけませんね。頑張ります。

お盆に載せられてきた定食を見ると、満足すぎるぐらいの料理が並んでいて、人気が頷けます。最後にはサービスでウグイの南蛮漬けまで戴いてしまいました。ご馳走さまでした。

1時30分に日本旅行の西日本営業本部の教育旅行担当の三船さんにお会いする。今回大阪に来た目的の、「冬の学習旅行パンフレット」を作成している中で、三船さんにアドバイスを戴きに来たのです。

『わたしだったらこうする』と言う風な的確なアドバイスを戴き、考えの至らないところがありすぎて厭になってしまいます。これを活かすべく、明日から大幅な変更作業をしなければならなくなりましたが、反響が楽しみになるパンフが作れるので愚痴をこぼしてはいけませんね。

新大阪からの新幹線が15時。9分前に改札を通り乗り込んで、名古屋へ。名古屋から中央線で16時発に乗り込むのに新幹線改札を出るのが7分前。松本着が16時で駐車場の代金が12時間までで1200円、これも滑り込みセーフ。今回の大阪行きは全てに渡って巡り合わせが良くって感謝しなければならないですね。勿論一番の滑り込みセーフは三船さんからのアドバイスが印刷に間に合うことです。ありがとうございました。

大高木さんがほっとステイ下見の学校、愛知県三好高校と東京成城中学を済ませておいて呉れた。ご苦労様でした。


冬バージョン

2008年4月 1日

●パンフの掲載情報、油絵を頂く

冬バージョンのパンフに掲載する資料を集めてまとめる作業を行う。ひとつ纏めるのに、電話をかけて確認しながらなのですが、その電話が長引いてしまうのです。困ったものです。でも皆さん真剣に語りかけて来ますし、私も熱を帯びて語りますのでついそうなってしまいます。

茅野市関係の話が長引いています。横川観光j連盟事務局長の真剣かつ情熱には敬意を表したいのですが、パンフを作ると聞いたので掲載してほしいといわれても、ああ良いですよと簡単には了解できません。お互いがどのように考え行動するのか、分りあえて初めて事が進むと思うのです。横川さんからは推薦を頂いたということにして下さいと返事をするのが関の山でした。

13時前にようやく完了し、あとはデザインの水野さんに託しました。

1時30分過ぎに上田市川西の荒井さんが、20号の油絵を携えてお出でになる。昔30年ほど前に荒井さんが住宅を増築する際に、私が設計図を書いて差し上げた事が有りました。その際に設計料は荒井さんとは仕事を同じ職場でしていたこともあり、お金がない中で無理して家を建てるのを知っていたので貰わずに、『いつか気に入った絵が描けたらそれを頂きたい』と言ってお別れしていたのです。

先日、荒井さんから達筆なお手紙を頂いたのです。『80歳を迎えるのに貴君のことは忘れたことはございません。遅くはなったが改めてお伺いし、約束を果たしたい』と書かれていました。私の方が忘れてしまっていたので、申し訳ないぐらい。今になっても覚えていてくれることに敬服するだけです。素晴らしい奥信濃の雪景でした。早速居間に飾らせていただきました。

水野さんが4時過ぎに出来上がったパンフ原稿を持ってやってきた。何回も足を運んでいただいてすみませんね。掲載の表側はほぼ思ったとおりに進めていただいていました。今回はマップ面の表記方法で打ち合わせに来てくれたのです。

こんな大量の情報量は載せるところがないのでどうしましょうか、と云われてしまいました。表題、開催地、宿泊施設、体験施設、食事処、見学場所。どれも重要な情報なのですから、乗せたいのですが、場所がないといわれてしまって大困り。

そこでマップの上に四角の枠を取って載せましょうと提案したのですが、そんな場所がないといわれてしまう。でも乗せる情報は最低限を乗せればいいわけで、それだけだったら乗るのでは?。掲載量の数を確かめ、了解を貰う。

そのあとが又食い違いが出ます。施設の名前を載せて、乗らない部分の情報は欄を設けて入れないといけないですね、と来ました。どうしてそんな情報から載せようとするのですか。私は必要な情報から掲載すればいいわけで、場所なんかとらないでしょうと反論。

作る人の考え方次第ですね。今までの作り方でいえば施設の名前をマップに落とし、概略は脇にある欄に、詳細はほかに用意してあるパンフと云うことになりますが、それが見る人側、訪れる人側にとってはどうなっているのかを考えると、今まで通りに作ることを疑問に感じざるをえません。

2008年3月31日

●県の完了検査を受け、合格

9時に上田の地方事務所に伺い、長野県元気づくり支援金で進めてきた『ふるさと回帰予備校の構築事業』の精算書と証拠書類の領収書を持参して、坪井さんに完了検査を受ける。1時間掛かってみて頂き無事検査が通った。

私が審査を受けている最中に『いき生耀ながわ』の三人が15分前にやってきた。今日は私達の関係者が他にも午後には真田や青木が審査を受けます。皆さんしっかりとやってきてくれてるので大丈夫だと思いますが少しは心配があります。

帰宅して冬バージョンのパンフの原稿を大高木さんと最終的にチェック。言葉をそのまま使っていかないと従来型の商品と変わらない印象を受けてしまうので、今までの計画で行くことにする。

パンフは表側が仕上がったのでマップ面の情報収集をして、仕上げをしていきます。宿泊情報や体験施設情報、食事情報等を、掲載する予定です。

私たちが新しいパンフを作成する際には、必ず今までとは違う風が吹いてきますね。前例に無い形で取り組みますので、どうしてもそうなってしまいます。掲載するだけでお客様が来て貰えるように考えてしまうようで困ります。ひとつの商品を扱う中で、同じ気持ちで取り組みをしていかないと、それこそ邪な人と仕事をやるようになり、これではうまくいくわけがございません。茅野市観光連盟、女神湖ペンション、白樺湖ホテル、姫木平ペンション。うまく組めるといいですね。

夕方デザインスタジオエムの水野さんが原稿を仕上げて持って来てくれ、マップの仕上げを打ち合わせを行う。

2008年3月29日

●学習旅行の冬バージョンパンフ

学習旅行の冬バージョンの原稿を仕上げないと間に合わないので、一日中原稿を作る。皆さんと意見交換をしながら調整して作り込んでいきます。

夕方白樺湖へ行ったついでに、車山のリゾリックスへ立ち寄って吉澤さんと話してきましたと大高木さんが話しながら事務所にやってきた。立派な施設で驚きましたと私と同じ感想を漏らしていた。今度泊まりに行ってみようと思っています。

2008年3月28日

●王滝村のおんたけ村から訪問者

10時に王滝村からほっとステイ体験者が7人がやってきた。受け入れをしていくようになる中で、受け入れに不安を訴える人たちがいるのでやってきたのです。二班に分かれ私は鎌形さん宅に案内し入って貰う。顔合わせをしながら直ぐ主題に入って行き、やる気に対しての意気込みをうかがわせ、今回の行動は頼もしい限りですね。

受け入れを鎌形さんに任せて、11時にデザインスタジオエムの水野さんがパンフの打ち合わせにやってくる。ほっとステイの目的等を紹介するのには問題はないが、地図を作るのに苦労しそうな雰囲気です。

昼食後の1時過ぎに車山高原のホテル『リゾリックス』の吉澤さんが、今日の受け入れ状況を見学にやってくる。この次は高校生が体験しにやってくるときに来ますと言ってお帰りになる。

2時30分過ぎ、参加者が公民館に集まり反省会を行う。皆さん大変喜ばれていて口々に『これだったら出来る』と言っていた。3時30分帰路に就かれる。

冬バージョンパンフを作らないといけないと原稿作成に拍車がかかりますが、思うように進みません。今回のパンフは皆さんに『ほっとステイ』の目的を理解してもらわないといけないので、どうしても説明文が長くなってしまい、見づらいと云う悩みが解決しなくて困ります。本当に悩みです。

2008年3月27日

●茅野市観光連盟&日本旅行の懇親会

9時30分過ぎ、茅野市観光連盟の横川事務局長と下諏訪町の観光協会のお二人がやってくる。今度作ろうとしている学習旅行誘致の冬バージョンパンフについて、どんな風に作ろうとしているのかと確認にやってきたのです。茅野の観光連盟は加盟団体が多いので纏めるには問題があるが、個人的には是非加わらせてほしいと頼まれる。作成には時間がないので、忙しいので出来るところからやるしかないので、そうして下さいねと返事をする。12時前にお帰りになる。

午後はそのパンフの原稿作りにずっと追われる。

夜7時30分、長和町道の駅マルメロの駅で立科の吉澤さんと真田の山崎さんと待ち合わせし、車山高原のペンションに出かけて行く。

日本旅行の社員研修会に参加を許され、懇親会で名刺交換をしながらほっとステイの説明をするためです。予定が遅れて懇親会開始は9時40分過ぎ。私達の商品を理解してもらうと乗り気になってくれますので熱が入ります。話し込んでしまって時計を見たら12時30分過ぎていて、帰宅は1時10分。私達の純米酒『THE幸村』を持ち込んで飲んでいただいたら『これはうまい』といって頂く。やっぱりね。

そのあと、パンフを再度作成して資料を水野さんにメールしたら2時40分だった。

2008年3月26日

●純米酒・THE幸村、納品になる

『ほっとステイ』の冬バージョンパンフの原稿作りが急務になってきています。4月3日に大阪の三船さんのところに行ってアドバイスを頂き、その週に印刷発注していかないと春の商戦に間に合わなくなるからです。これに間に合わなくては折角作っても来年になってしまいますから、営業戦略の問題になってしまいます。

10時に信州銘醸の滝沢さんが、待ちに待った純米酒『the幸村』の納品にやってくる。10時30分にトラックがお酒を積んで到着。今年の出来は当然昨年以上ですよ。改める部分は手を入れて対応していますから楽しみにしていましたが、そのお陰で色も酸度も向上しています。皆さんご賞味ください。

11時30分過ぎ、伯母さん宅の改修工事について入所先を訪問し、一時帰宅と云う形で自宅に連れ帰る。お昼をレストランで取り、歯医者にかかりたいと云うことで、電話を入れたら来て良いですよと返事をいただいたので、鹿教湯病院の歯科にかかりにゆく。

待ち時間を使って病院前のホテルへ寄り込む。知り合いの斎藤さんが運よく居たので話し込む。1時間も寄り込んだことになってしまった。悩みはどこも同じで、やるかやらないか行動をするかしないでも居られるのか、ですね。人と同じ歩調でいられるのか居られないのかを判断すれば分かることで、体力があるうちにやらないと本当に駄目になってしまいますよ、とアドバイス。

2時30分過ぎ自宅にたどり着き、工事個所の着工前の写真を撮ったり春物の着る物を箪笥から取り出したりし、4月末には帰れるのに早く帰りたいとの『里心がついていけないね』と冗談を言いながらお茶を飲んで4時に入所施設に帰る。

5時に事務所に帰り、再び冬バージョンパンフの原稿作成。夕食も済ませて仕事し、第一案をメールして自宅に帰ったら1時20分だった。


2008年3月25日

●上田市内の観郷ウォーク

8時過ぎ税理士事務所の横関さんがやってきた。2月が年度末で決算にになっているので来てくれたのです。事業展開にアドバイスをどんどん出してくれますので、大変参考になりありがたい存在の方です。

10時上田へ向かう。10時30分、NPOルーバンデザインの牧谷先生の所で観郷ウォークの詳しい説明をしてお勧めしたら、市内開催地になって行きたいとおっしゃっていただく。ありがとうございます。やはり市内の活性化活動の不毛を嘆いていた。市内に他人事にならずにやろうと思う人が出現して欲しいのですが難しい状況かな。

真田の余頃さんから電話が入る。石川県の小松で自動車はクラッシュしてしまい立ち往生をしているとのこと。体には何もないから心配しないでと云うので一安心。朝送っておいたFAXの内容についてだった。27日の夜8時から車山高原のペンションでの日本旅行様の研修会の懇親会に参加し、名刺交換をしようと呼びかけておいたのです。参加するとのことでした。

12時を回ってお別れし、知り合いの蕎麦屋・琴笙庵の花岡さんのお店に食事に行く。行ってみて驚く。運命のいたずらと云うか巡り合わせと云うか、今行ってきた牧谷先生との話で協力者が必要だなとの認識を大高木さんと話し合って暖簾をくぐったのに、目の前に市役所の東井さんが昼食を取っていたのでした。丁度いいからと悩みを相談し、協力を頼んでみるとOK。良かった、道は開けた。さっそく牧谷先生に連絡を入れておく。

2時30分過ぎ帰宅。丸子の伯母さん宅の見積もりを行い、4時過ぎ入所している『いこい』へ行き担当者の方のところに伺うが生憎不在。伯母さんと話をして帰ってくる。

菅平の大久保さんから観郷ウォーク開催について相談の電話が入る。」どんどん受け入れて開催していきましょうと激励する。

6時前に丸子セレスホールに行く。旧丸子町で行っていた『地域住民提案型事業』の報告会に出席。13の各団体の事業報告が賑々しく行われる。8時45分から審査員の講評となり、私は信州せいしゅん村の11年の活動を踏まえて、10年20年先はどうなるか、目標をどこに置いて活動するか、経済的に自主運営を見据えて、お互いが寄与し合いましょうと発言する。9時20分帰宅。

2008年3月24日

●新たなルートマップを計画します

7時30分、丸子の宮坂表具屋さん宅に出向き、大屋の酒井さん宅へ唐紙張替の建具を受け取りに行く。今日は今日の分10本を持ち帰り作業をして夕方持って来て建て込み、明日の分13本を外して持ち帰り、明日中には持って来て唐紙を入れて行くようになります。計画どおりに事が運んでくれればいいですね。

10時30分、上田のデザインスタジオエムの水野社長がやってくる。昨日相談をしておいた新たに作るルートマップの原稿となるマップを持って来てくれたのです。今回の計画は冬の学習旅行が目的のパンフになります。修学旅行として冬に長野県を訪れて頂けるお客様は最盛期の40%しかないのが現状で、これを復活させようと県を挙げて取り組んでいるのですが、なかなか対応の難しい事案になっています。

私たちは学習目的の旅行はどうあるべきかから提案していこうと思っていますが、果たして旅行エージェントや学校の先さまが理解してもらえるのか心配なのですが、提案していかないと打開は出来ていかないので、してみるしかないと腹を決めています。

水野さんと話しを始めたところへ大高木さんが、寒晒し蕎麦の玄蕎麦を鈴木さんから受け取ってきて事務所へ持って来てくれたので、降ろしたあと話に加わって貰う。私達の農村体験のほっとステイや観郷ウォーク・スキー場・宿泊施設・体験施設・食事処・より解り易いルートマップ・アクセスを掲載する計画を話し合う。良いものが出来上がりそうで楽しみ?苦しみですかね。12時にお帰りになる。

JTB関連の雑誌の記者から『ふるさと回帰予備校』を取り上げたいと打診が来る。お願いしますと返答しました。ありがとうございます。こちら側の資料を送る。

2時老健施設『いこい』へ行って、丸子の叔母さん宅の改修工事の申請書作成について担当の方と話し合う。玄関の受付に着いたら千曲市の伯母さん夫婦が丁度受付を済ませてロビーに入ったところで挨拶を交わし、私たちは担当者の方と話し合いを始める。そこへ入所中の伯母さんがやってきて話しに加わり、叔母さん夫婦も加わり話す。済ませて部屋に戻ってお茶を飲み始めたら、今度は長瀬の叔母さん家族3人がお見舞いにやってくる。総勢8人でお茶のみとなり、懐かしさからか長瀬の叔母さんが涙を見せてしまう。

4時30分過ぎに帰宅。マップの件でメンバーの皆さんと話し、一様に賛意を示してくれました。これからの計画にも作業を分担していただけることになって大助かりです。27日の夜8時に車山のホテルで旅行会社の勉強会に参加できることになる。ありがとうございます。

2008年3月23日

●雷電くるみの里イベント、桂小金治師匠の講演

昨年、下の畑で栽培したモチキビの殻を軽トラに積み込んで裏の畑に運ぶ。10時には東御市に出かけなくてはいけないので忙しいです。慌てた為に縛ってある紐が切れて、弾みで吊り下げていた手が上にあがって自分の顔を殴ってしまった。情けない話ですが上唇の上が赤く変色してしまいました。気をつけましょうね。

10時東御市の雷電くるみの里で、長野県の観光部主催の道の駅イベントに桃源郷街道として、街道マップとふるさと回帰予備校教本やほっとステイのパンフを配布する役を賜り真田の斎藤さんと参加。県職員は江戸時代の仮装をして参加。真田の赤備えの鎧を着て農政課の紅一点・羽生田さんも居た。1時30分、強風によりパンフ類が舞い上がってしまうので中止となる。

駅長の唐沢さんに『the幸村』の販売をして欲しいと依頼すると、担当の人を寄こしてくれと返事を頂く。すぐに信州銘醸の滝沢さんに連絡。明後日に来てくれることになる。

2時丸子セレスホールでの桂小金治師匠の講演を聞きに行く。ホクト株式会社上田きのこセンター落成記念で開催されたもので、講演内容は私達の活動していることを説明や紹介してくれているような錯覚を覚えてしまう様なお話しで、実行部隊が私たちだなと思ってしまう。良いお話でした。ホクトさんは入場券売上金に足して100万円を上田社会福祉協議会に贈呈してくれた。

4時過ぎ帰宅し、受信メールを読んで下記のメールを出す。
大久保様・皆様

大久保さん、先日はご苦労様でした。そのあとの℡で嬉しいことを云ってくれましたね。私達の活動を、本当にそう捉えて貰うと有り難いことです。
これから進めることは皆の力で、特にフットワーク良く、考え方を纏め、しかも公表して行くことだと思います。そして、それに基づいて行動に移すことです。
その為にも、先を読み流れを読み解き、時代の最新武器を、器用に・当たり前に、扱える人がいないと戦いに負けてしまいます。

昔の出来事・戦を振り返れば良く解りますね。

あの戦国一と謳われた武田騎馬軍団が何故破れたか。あの不沈鑑の戦艦大和が何故沈んだか。あのローマ帝国が何故破局していったのか。あの人類史上最大面積を誇るモンゴル帝国が何故世界一になったか。

破れたところは、決して見誤った情報だけで対処していたのでは無いはずです。相手を侮って、どういう風に相手が武装して行動しているのか、知らなすぎただけ。言い換えれば勝つ秘訣は、相手よりも先んじて、どう行動するかですね。
旧弊にこだわり、拘束されればどうしようも有りません。解った人が力を結集し、行動に移し、勝者となりましょう。皆様、考え方で・結集力で結びつきましょう。

『集団で理論武装して行動する』ことを共有できないと、掛け声だけで、何も成果が求められなくなり、旧態の机上論をするだけです。『時代の最新武器を、器用に・当たり前に、扱える人がいないと戦いに負けてしまいます』と書きましたが、理解できる人のご協力をお願いします。

宜しくお願い致します。

夕食は急にお袋さんの退院祝いをやることになって、弟夫婦と家族で望月のレストランへ行って食事会をする。お見舞いにしっかり顔を出せなかったのでと言って、お代は弟夫婦が負担してくれた、サンキュー。

2008年3月21日

●県庁へ

9時に出て丸子の信州銘醸さんで、今日使う『the幸村』の試飲酒を手に入れ長野市へ。

11時に食品工業研究センターへ。食品バイオの担当部長と寒晒し純米酒『the幸村』の事について、成分分析やアドバイスを頂きたいと相談に伺う。話しの中で、何回も何回も試飲して貰ったので、『どうですか、このお酒は』とお聞きすると、『どう表現するかですね。この種のお酒を。小林さんならどうしますか。キャッチコピーをどう作りますかねー』と水を向けられる。禅問答みたいですね。そして『成分を言っても駄目ですね。うまい表現はないかなー』

『同じようなお酒は寒晒ししなくても作れますか』とお聞きすると、『数値的には出来るかも知れませんが、雑味は有りますね。寒晒ししたから雑味は出ないのでしょうね』。物静かに語っていただきました。

寒晒しの事が書かれているラベルの最後の部分をしきりに覗き込んでいたので、私が『特許申請中と書いてありますが、どうですかね』とお尋ねすると、『お酒で出してあるのですか』。私は『アルコール飲料で、すべてで出してありますよ』と返事すると、『へーそうですか』。

私はさらに『ところで寒晒しでの特許はどうですか』とおたずねすると、『聞いたことがありませんね』とのこと。期待が膨らみますね。12時30分辞して県庁へ。

1時、県庁のホールで、立科の吉澤さん、真田の山崎さんと大久保さんと待ち合わせして、信州長野県観光協会の恵崎常務と竹内部長とお会いする。

先だっての九州学習旅行誘致推進で得た情報をお話し、『その対策を進めるために、こうしてみんなで伺ったのです』と話し合いに入る。こちらで考えている方法をお話しすると、『県全体は学習協議会で作ればいいですね。地域版はみなさんをお手本にして、作りたい地域が作ればいいですね』と驚きの踏み込んだ返答を頂く。これからの行動に協力を頂けることをなった。

用件が済んだら、台湾から農村体験に、60歳代の人が10~15人ぐらいで10日間の予定で来るので、受け入れをして欲しいと頼まれ、真田で対応しましょうとなる。

2時に観光部観光振興課の仁科係長に、私たちがやろうとする九州を含めた観光の取り組みへの協力をお願いしに伺い、お話しすると快諾を頂く。吉澤さんからの問いかけにも本音で答えてくれて、最後には『皆さんのことは、県下81市町村と同じように受け止めています。皆さんは82番目の村ですね』と言っていただく。とても有り難いお話しをしてもらってしまった。上手ですね、その気にさせるのは(ゴメン、ひねくれ過ぎかな)。

2時45分、農政部農業政策課の小林課長とお会いしをお渡しし、今年の出来は昨年よりさらに上質になっていますよと言葉を添え、『武石に寒晒しの視察にお越し下さい』とお勧めする。予定をしてみる検討をしていただけることになった。

県庁を離れ、4時に丸子の信州銘醸へ行き、、『the幸村』の瓶詰めの立ち会いと試飲会。大高木さんが飯田さん、鈴木さん、宮崎さん夫婦の4人を車でのせてきてくれていた。作業工場内で作業風景を見せて貰い試飲をさせて貰う。皆さんこれはおいしい、これは美味しいを連発していた。良かった、今年もいいぞ。

その後、中川大工さんの所で『ふるさと回帰予備校』の看板を頂いて、そして改修予定の伯母さん宅を見ていただく。サンルームを作ることになっていたのでサッシ屋さんにも来てもらい、立ち会い。

5時30分、事務所で大高木さんと、このところの活動をふりかえっての反省と評価を語り合う。

2008年3月19日

●第26回桃源郷街道実務者会議

朝日新聞社が後援して募集している『日本のさと・100選』の応募書類を朝から作り始め11時過ぎに終わり、申請先に送る。我が旧武石村を一つの里としてとらえて『信州・思い出の里』として申請しました。今月末が締め切りになっていますが、ネットで見たら、すでに1000件を超える応募が寄せられているとのことでした。私の応募も2次審査に残れるのかまったくわからない状態です。何かにすがりつかなくてはいけないかな。

11時30分、午後の会議資料を作成し公民館に製本を依頼しに行くと、公民館長が話しかけてくる。『ほっとステイを武石小学校でやる話の件だが、前に話しが出た時に、「どこの子供だい」といわれるので駄目だと云う事があったそうだが、どうだい?』と。

『へえー、そんな事が有ったのですか。知らなかったですよ。でもそう云われますね、受け入れ家庭には、当たり前だけど本当に。だけど「云われるから嫌だ」でなく、尋ねられても自信もって〇〇の家だと答えられる生活や躾をやっていないといけないんじゃないですか。地域社会が関わると云うことはそう云う事でしょう。保護者が受け入れ家庭に云われるのが嫌だから、やりたくないでは、地域社会は子育てには関われないでしょうね。困ったですね。でも無理しなくていいですよ。』

1時30分から第25回桃源郷街道実務者会議が武石公民館で開かれる。5時05分終了。

ここのところで、メンバーが参加してきた商談会や招待体験会の評価と反省を報告し合う。そのあと、これの質疑応答を後回しにして、桃源郷街道が目指している事を再確認する為に、皆で作成してきた資料の文章に目を通して自覚し合い、発表した内容について意見交換。目指すところを再確認して話しあえば、実りある話がしっかりできます。商談会や体験会は収穫のあった事業でした。

観郷ウォークや元気作り支援金、大学連携、広域観光働きかけの件等沢山あり、ダラダラ会議をやっていると終わりませんので、毎回のことですが真剣に話し合い、来月の第26回実務者会議は王滝で4月13日に開催することになった。

会議終了後、真田の山崎さんから『明日、学校の下見があるので本部から顔を出していただけますか』と尋ねられ、行きますよと返事。あとで話し合った結果、大高木さんに行って貰うことになる。

そのあと青木の沓掛さんが事務所に立ち寄る。今回の青木での体験会の報告を受ける。話し足りないということです。(むらおさの宮下さんがあばら骨を骨折。肺に傷をつけてしまって、入院は1週間ぐらいだそうです。しっかり養生してくださいね)

2008年3月17日

●王滝・中国、そして上田城千本桜まつり

朝方、王滝の体験会をの結果を大高木さんが伝えにやって来た。まだまだ受け入れ組織の代表者を始め皆さん方の「顔が見えない」ことを憂慮していた。先方に伝えてきましたかと尋ねると『云っては来なかったです』。改めて私の方から伝えておくことにする。

地方事務所から道の駅のイベント参加を求められ、参加することをメンバーに伝える。教本とマップを配るようになり、桃太郎旗を立てても良いそうなのでうれしいですね。

中国深センから夏に「ほっとステイ』にやって来る学生さんの体験として、鹿教湯(カケユ)温泉での病院見学や施設見学を観光協会の恵崎常務理事に伝え、『先方にあたって欲しい』と依頼される。長和町の「和紙の里」の紙すき体験や「黒曜石ミュージアム」の加工体験はそのまま中国側に伝えますと言っていただく。見学の件を鹿教湯温泉の旅館組合長に伝え、段取りをしてみて貰い返事を下さいと伝えておく。

信州銘醸の滝沢さんから上田城千本祭りの出店に関して、私たちで手配していたことが上手くいかないと連絡を受ける。酒販を簡単に考えていたつけが払わされたようなことになってしまう。皆さんに迷惑を掛けてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも自惚れていたわけではなかったはずですが、思い込みが強ければこうなってしまいますね。反省、反省です。思いどおりにいかないのはお天道様が『おまえ、まだ早いよ』と微笑まなかったのだと諦めるしかありません。

老健施設に入所中の伯母さんのところへお見舞いをしながら、住宅改良をどこまでやるのかを確認させてもらう。千曲市の叔母さん夫婦も来ていて一緒に相談に乗って貰い、段差を取り除く仕事を優先して行うことになる。早く家に帰りたがっていて、気の毒なぐらいです。もう少し(4月一杯)待って下さいね。

2008年3月12日

●ほっとステイ体験会と中国からの学校交流申込

9時30分、受入家庭の上原さん宅へ『ほっとステイ体験者』をご案内し、お願いしてくる。

事務所に戻り、中国・シンセンからのほっとステイ予定の小学生の資料を持って、地元の武石小学校へ行って、堤校長先生に受け入れを打診する。

先生からは、学校交流も県の詳しい話しを聞いて、最終判断をすると言うことで一応了解を頂く。一安心です。そして以前から申し入れていた、地元の子供達の『ほっとステイ』体験をしませんかとの提案が、来年度から『おこなってみましょう』と良いお話しになった。アリガトウゴザイマス。

自宅で昼食を取り、上原さん宅へ体験して貰っている人達を迎えに行き、公民館へお連れする。原田さんは諏訪の地方事務所の高木さんに託しお別れ、私はほっとステイの詳しい説明を1時間30分おこなう。

日本旅行の佐々木さんは、この3月27日に車山でおこなう『教育旅行担当者の研修会』で、武石に来て、再度参加者に説明して頂ければ嬉しいですねと提案される。

是非お願いします。各地の責任者にも出席して貰って、名刺交換をさせて下さいとこちらもお願いする。双方の思惑が上手く一致すれば良いですね。

3時30分に上田駅にお送りし、事務所に4時過ぎ戻り、事務処理。

2008年3月10日

●立科・長和の講演会

朝から電話連絡のしっぱなし。休み続けていたつけが回ってしまっている。

13時に税務署で酒類販売の移動販売申請書を貰いに行く。説明を受けたあと、知人の所へ顔を出し、上田公園前のお店を、千本桜祭りの期間中にお借りし、「寒晒し純米酒・the幸村」の売り出しに使わせて欲しいとお願いし、了解を頂く。

14時に地方事務所商工課へ行って、坪井さんに地域を越えた観光の推進に協力を要請する。次に庄村さんに寒晒し蕎麦焼酎と寒晒し純米酒の販売について、経済産業省の支援事業に該当するので申請をするかどうかを相談。申請を薦めましょうと言う事になる。

地方事務所での話しを切り上げ、上田着3時18分の電車でお越しになる大阪の原田さんを出迎え、4時30分、白樺湖の池ノ平ホテルへご案内し、私と一緒に、立科・長和のほっとステイ商談会に参加。

5時から私の講演が1時間。そして6時30分から懇親会。ふるさと回帰に対する熱意は皆さん凄いものがありますね。各地の宿泊施設の人も参加してきたので良い意見交換ができ、有意義な時間を過ごすことができました。一度は泊ってみたかったホテルなのでここで宿泊する。


2008年3月 7日

●真田から体験者が

朝、昨日までの私の九州博多商談会と熊本キャラバンと、大高木さんの5日の東京商談会に参加して得た情報を話し合う。

私達の行っている「ほっとステイ事業」が東京での講演会で『これからは・・・・』と示唆されたとのこと。説明会場では『私達は今の講演されたことをやっています』と商品説明を行って来たと自慢していた。

私の方は昨日までの動きで判った、茅野市を含めた範囲でルート化しなければと茅野にも伝え、これについて観光協会まで巻き込んで資料を作りましょうということになり、観光連盟が話しにのってこなくても、こちらは独自で行いますと伝えてきたと話す。

8時50分、公民館へ真田から「信州しあわせ村真田」の余頃さんと山崎さん、大久保さんに引率されて『ほっとステイ受入家庭』が、武石の受入家庭に入っての体験会に11人がやって来た。

小沢根の桜井さん宅と小寺尾の宮下さん宅へ案内し体験して貰う。ありのままの体験を提供する事に対して理解をするために来たのですが、良く理解して貰ったようだった。作業は両家とも「剪定枝の片付け」を行う。

2時30分から公民館をお借りし、信州せいしゅん村から受入家庭に伝える大事な部分の説明を対談を含めて講演させて貰う。4時迄まで。

昼食後、℡をしっぱなし。
亀屋ホテルの平岡支配人と資料作成、県観光協会の小林さんと台湾からの修学旅行、長和の森田さんと小学校の学校交流、立科の吉澤さんと長野県庁行きの件。ほかに中川大工さん、後藤行政書士。2時20分、真田の打ち合わせにやっとこ間に合うような状態だった。

真田の一行をを見送った後、再度大高木さんと朝の打ち合わせの続き。松本の「長野県工業技術総合センター 情報技術部門 情報システム部 主任研究員 北 沢さん 」と第2回キッズデザイン賞の募集案内が北沢さんからきていたので、電話し北沢さんの考え方等をお聞きし、前向きに検討していくことにする。

夜は、水野さんから長野県デザイン協会の長野県デザインアワードと北沢さんが薦めてくれた経産省のキッズデザインについて話し合う。ヤルとなれば忙しいですね。


2008年3月 6日

●7時間の列車の旅

今朝は8時30分にロビーに集合、9時に一校目にお邪魔する。今回の修学旅行キャラバンで伺う学校は皆私立で校舎も先生も生徒さんも素晴らしいので感心してしまいますが、この学校さんも幼稚園から高校までの一貫校で、応接室には高校生が獲得した優勝旗やトロフィーが所狭しと並んでいた。各種の活動への思いと成果が示されていて、驚くばかりです。

二j校目は生徒数500余人を数える学校さんです。教頭先生は白樺湖をよく知っていて親しみが湧く様です。何回も行っていたそうですが、現在は違う場所へ行っているとのこと。

理由をお尋ねすると、入試方法が変わり、前期後期の2回になった影響で、試験を中学校と高校が2回づてに行うので、4回あるようになり、入試を1月には行うことができなくなり、12月にやるようになってしまったと言っていました。そのため積雪に不安のある地域には行かれなくなっているのですとお話しを頂く。これには困ってしまいますね。どう対処しましょうか、本当に困りますね。

スムースに訪問が終わり、予定を早めて帰宅行動に移ることにする。大分に行っている青木の宮下さんに連絡を取ってみると、向こうも予定を終了したとのことで、時間を早めて帰ることにする。

私は熊本発11時55分で博多でのぞみに乗り込み、小倉で宮下さんと合流。名古屋で中央線に乗り換えて5時発で松本到着7時07分。7時間の長旅でした。

列車の中では宮下さんとキャラバンで得た情報を分析しあい、茅野の横川さんと意見交換し、早急に対処しようと云う事になった。なるべく早くしましょうね。

2008年3月 4日

●九州博多にて

朝5時30分に家を出て、松本駅へ大高木さんに送ってもらう。今日から三日間、九州で学習旅行誘致推進協議会のエージェント商談会とキャラバン隊への参加です。

7時07分のしなのビュー2号の特急に乗り込み、来る途中の明科駅から乗り込んでいた青木の宮下さんと菅平の大久保さんと合流。名古屋9時着。名古屋から新幹線のぞみに乗り換え、九州の博多着13時。

13時30分からエージェント招待商談会が始まりました。県観光協会の恵崎常務理事の開会の挨拶から、各地の参加者の地域紹介。私は茅野市の白樺湖と車山のホテルの皆さんと一緒のグループです。地域の紹介とホテルの紹介、そして日帰り体験『ほっとステイ』を紹介して、皆さんが終わるのを待って、2時40分から各地のブースで商談会となる。

商談会に入って、他地区に先駆けて、真っ先に私のところにお客様がお見えになる。阪急交通社のお二人さんでした。『小林さん、こういうものを探していたのですよ』。嬉しいですね、泣けてきてしまいます。さらに観郷ウォークも詳しく紹介すると『これは参ったなあ、これは一番いいですね』と表現して頂く。

他のエージェントさんにも説明して見るが、概ね好評です。来た甲斐があったとほこの事ですね。誘客に繋がって欲しいです。

青木の宮下さん達も手応えがあったそうです。

夜は宿泊したホテルの1階で食事をしながら反省会。もっと売り込もうとなる。


2008年2月29日

●事務所で話が弾む

朝一番で武石地域自治センターに『ふるさと回帰予備校』の教本を届ける。そのあと商工会に同じ様に届け、教育事務所にも届ける。

教本を送り届けるリストを作成。各所に送る。どんな反響が寄せられるか楽しみです。

〔じゃむや:宮下〕さんが、毎日新聞への広告掲載について相談に来る。宮下さんだけで負担して広告を出すか考えてみたいとのこと。ただ広告は統一した名称を使った方が広告効果が上がるとの認識では一致。今後どうするか検討をしていくことになる。

信州大学感性工学科の上条先生と、今計画している桃源郷街道の評価判定について、明日の1時30分からの研究会に先立って、10時から信州大学の繊維学部の研究棟でお会いし、話をすることになる。工業試験場の北沢さんも同席して貰うことになる。こちらも吉澤さんと大高木さんが同席して話し合います。

3月4日に県観光協会主催の九州での商談会が行われるが、その足で5・6日に訪れる熊本の県立高校が入試で訪問できないことが判って大慌て。青木の宮下さんたちは大分県に訪問先を変更することになったが、私たちだけは熊本の私立高校へ行くことになり、複雑な心境です。

〔ぶどうや:鈴木』さんが、寒晒し作業の件で、午後一番で打ち合わせに立ち寄る。広告方法や法人化、農作業、農法、品種の話が弾み、長引いてしまい3時を回って帰る。冬だから暇だそうです。

奈良の横井先生より内閣府の行う予定の事業の資料が送られてくる。読んでみると私たちが目指している方向に合致しているのですが、申請して採択してもらうには大変な仕事になると思う。
良く考えてみないといけないです。

依田窪南部中学校の依田教頭先生と来年度の授業で、協力してやることができないか検討していますと呼びかけられる。是非やりましょうと返答する。

2008年2月19日

●本当に火事は怖い

昨日、火事で燃えてしまった『上のうち』の惨状を見る。母屋の東と西の両サイドが残っただけで、中央部は棟木まで吠え落ちてしまっている。よく何もかも灰になってしまったと云われますが、火事は黒焦げになった醜い姿が目に付くだけで嫌になります。片付けをするにしても大変です。

同級生の彼にお見舞いの挨拶をする。いつも住まわれているおばさんは、病気で手術を受けて入院中だったので、不幸中の幸いになっているのかも知れません。班の伍長をやっている私のところに、『班は違うが傍なので、隣組で家事のお見舞いに伺わなければ』と、近所の長老がやってくる。隣組の意見調整をして、お見舞いを差し上げることになり、私の家に届けてもらうことになる。

私の家に、近火見舞いにやってきてくれる人がたくさん。ご迷惑を掛けます、ありがとうございます。

13時、第23回桃源郷街道推進会議の会議に長和町に出かける。各地5支部の皆さんがやってきてくれ、全員揃うまでに商談会用で配る全地域を挟み込んだクリアーファイルを120部を作る。

その後、ほっとステイの報告やその質問に時間を費やす。まだまだ私を含めて未熟な部分を持っていますので、しっかり取り組まないと駄目になってしまいますので、責任者をはっきり決めて、各事項に取り組んでいきましょうと励ます。

中国のほっとステイ受け入れはどの受け入れ地も良かったと評価していました。


2008年2月16日

●山梨県に行く

9時に家を出て山梨県に妻と息子の3人で向かう。息子が久し振りに休みになったので家族で出掛けようと、何処へ行こうかなと考えて、最初は北陸の氷見へ行って魚でもを食べようかと思ったのですが、雪が降って動けなくなるといけないので、山梨に行ってみようとなったのです。

12時前に山梨県立美術館へ到着、昼食を食べずに見て回ることにする。新収蔵品展が開かれていて、近藤浩一路画伯の墨絵が飾られていて、懐かしさを呼び起こす心象風景のような絵は惹かれるものがありました。常設展では、かの有名なミレーの『種まく人』が飾られていて、見応えのある美術鑑賞でした。

そばの食堂で『ほうとう』を食べようとしたのですが、『忍野そば』が美味そうだったので食べてみました。私も10割蕎麦をテレビスタジオの生放送で打っていますので、蕎麦がメニューに載っているとつい食べてみたくなってしまうのです。

結果は大外れ。名前は蕎麦ですが名前だけで、これでは蕎麦という名前が泣いてしまいます。まだこんな蕎麦を出している店があるのかと思うとあきれ返ってしまします。皆さん本物の蕎麦を是非食べて下さいね。私たちは江戸時代に徳川将軍家に献上されたと資料に残されている『寒晒し蕎麦』を作って食べています。これを食べれは普通の蕎麦はだいぶ見劣りしますよ。ご賞味あれ。

食べ終わって昇仙峡に行く。冬の昇仙峡は人がほとんどいなくて静かなものです。最初はだれにも会わないので、『あれっ、可笑しいな?』と感じるぐらいで、物言わぬ佇まいは、こんな私を大事にしてよねと訴えているようでした。

帰りは千代田湖から下って甲府盆地を見下ろしました。快晴で見通りが利き、富士山に笠雲が立ち昇り、眼下に白い建物群が立ち並ぶ甲府盆地の家並みがとても綺麗で、見飽きない光景でした。こんな風景の連続は心を癒してくれますね。

山梨で見るポスターは桃の花だらけで、ここが桃源郷だと訴えていましたが、私たちは『信州・桃源郷街道』と称して、唐の詩に書かれている『桃源郷』といわれる『田舎のたたずまいが残る集落』を結ぶ道を桃源郷街道として、訪ね歩いて欲しいと願い、来訪を呼び掛けています。こんな信州の素敵な桃源郷の様な田舎にもお越し下さいね。

2008年2月14日

●旅行エージェント廻り

朝4時に目が覚める。昨夜早寝をしたせいかな。

8時45分、名鉄の名古屋支店の朝礼に参加し、自分たちの商品を説明させてもらう。

10時に近ツーのインバウンドの担当者に、中国向けのほっとステイと観郷ウォークの説明をする。まだまだこの商品の価値が知れ渡っていないと実感。

1時に日本旅行の教育旅行で説明をさせてもらう。2時近くまで説明し、1Fで一般対象の説明を再び行い、他の班との集合場所のホテルへ戻る。

3時過ぎに信州へ向けてバスが発車、7時30分に武石に到着。

まだまだやることが一杯あると感じた二日間でした。

2008年2月13日

●名古屋での商談会

朝5時30分過ぎ、立科の吉澤さんが到着、雪が降ってツルツルの中を松本へ出発。7時7分のしなのビュー2号に乗り込み名古屋に向かう。

豊田市に10時30分に到着。JTBの豊田支店へ顔を出しKさんに面会を申し込むと一日中会議とのこと。トヨタ自動車の展示場へ行き、新たな商品提案の試作車を見る。どこまで進化していくのかな。でもハードだけでソフトが全然反映されていないと感じてしまったが皆さんはいかがですか。

昼食を済ませて1時30分、トヨタ自動車の早川さんにお会いし、私たちのほっとステイと観郷ウォークの説明をし、ぜひ信州の私たちの地を訪れる計画を立ててほしいと依頼する。計画をJTBか名鉄さんと練って、提案してもらえば検討しますとのお返事をいただく。

2時過ぎに辞して名古屋に向かい、商談会会場のホテルへ4時にたどりつく。4時30分から説明会の受付を始め、5時から説明会が始まり私も説明を受け持ち発表をする。

6時30分からは懇親会が行われ、80人を超す盛大なパーティーになりました。姪が勤務している近ツーの支店長からは『彼女の成績が大変良く、社長表彰ものだ』と褒められ、自分でもうれしくなってしまう。しばらくしてから姪が会場にやってきて驚いてしまい、どうしたのと聞くと顔を出しなさいと言われてきたそうで、粋な計らいだったのかな。

8時過ぎに懇親会は終了。吉澤さんとラーメンを食べて早寝をする。

2008年2月 6日

●別所温泉にて話し合う

県の観光協会川上さんへ明日の会議の資料を整えてメール。

10時過ぎ、別所温泉へ行き、上松屋の倉沢社長(別所温泉旅館組合長)と話す。終わり頃『じゃらん』の加賀屋さんが見え、同席で話しを行う。私たちの活動を聞いて驚いていた。是非取材させてくださいと申し込まれる。昼食を3人で頂き、帰宅。

2時に、真田の信州しあわせ村真田の斉藤さんが新しいパンフレットを作りたいと相談に見える。大高木さんも同席。今後の組織運営について意見交換を行う。

3時過ぎ、千曲氏の叔父さんが、依田窪病院へ入院しているおばさんの件で話しにやってくる。

作っているほっとステイアルバムの原稿を再点検。

7時30分、水野さんが教本の印刷見本を持ってくる。チェックをしながら今後の展開を話し合う。9時を廻ってしまう。

2008年1月23日

●東京へ行く

7時前に家を出て上田駅へ。今日は東京出張です。7時49分上田発、途中大宮あたりから雪が降り出し、9時15分に東京駅へ到着した時はカメラを取り出して写したいぐらい雪が降っていた。家を出るときは雪降りの気配すらなかったのに東京で雪に会うなんて不思議ですね。

10時に高速道路交流推進財団に新年になっての挨拶に伺う。昨年私たちの『信州・桃源郷街道』の事業計画の提案に対して、3年間で1000万円の補助金を出していただいたのでした。財団では「第一回観光資源活用トータルプラン」を募集し、57の応募があり、私たちは第一席にはなれなかったのですが、優秀賞に選ばれ、参加グループの立科・青木・真田・長和の皆さんと喜び合ったものです。

お陰様で、『信州・桃源郷街道マップ』や『観郷ウォーク』の事業が行われだし、新たな地域活性化活動に進みだしています。まだまだ不十分ですけれど、形になってきていますと報告し、理事長や専務さんと名刺交換をして辞する。

次は14時に神田の近畿日本ツーリストの教育旅行。11時30分に神田に到着したので、早いので周りを歩きお昼にしようと通り過ぎて行ったら『日本農業新聞』の看板が目に入る。私たち信州せいしゅん村は今までに、この社の新聞の第一面に4回取り上げて頂き、掲載されたことがあったので、知り合いの記者に電話を入れてみる。『ああ小林さん、しばらくでした。・・・ぜひお立ち寄りください』とのことで13時に立ち寄る。

高速道路推進財団や観郷ウォークの話をし、更に『ふるさと回帰予備校』の教本作りを行っていて、丁度原稿を持っていますので、どうぞ見てくださいと御覧に入れる。驚きの声を揚げ『これすごいですね。出来上がったら教えてください。いつできるんですか。取材に行かして下さい』と云われる。どうぞお越し下さいと予定を告げ、帰る準備をし始めたら、『ちょっと待ってください。今我が社でキャンペーンを行っている「田園立国」の担当者が来ますので、先ほどの話をもう一度詳しく話して下さい』と言われてしまう。近ツリさんに遅れますと電話を入れ、再度話すと『全国で取材をして歩いているけどこんな本を見たことないですね』とやはり想像していたことおっしゃられ、隣では私たちのやり取り風景をカメラでバシャバシャと撮影され、帰り際には顔写真まで背景を整えてとられてしまう。どうなるやら解りません。

14時40分、近畿日本ツーリストの担当者と話をし始める。例によって『全国のどこの行政でも同じグリーンツーリズムで取り組み、売り込みに来ます』と言われ、気の乗らない対応をされ始める。いつものことなので自分の資料を開き、『ほっとステイ』の説明を始めると目の色が変わるのが分かるぐらい聞きはじめてくれ、最後は『うちの新入社員にも、よく教育をして頂きたい』と懇願されたような感じだった。

16時42分、東京発で帰路に就く。い一日だった。

2008年1月18日

●慌てた一日でした。

朝から本の原稿を書き上げて10時30分には長野県庁へ出かけて行こうと気合が入る。今日は県庁の農政部と観光部と観光協会の3か所を回り、本の推薦文を書いて頂き、それを本に乗せさせて欲しい依頼するつもりでした。

書いていると、急ぐ気持ちとは裏腹にパソコンに負荷が掛かって、唸ってしまってどうにもならない。大高木さんもチェックリストの項目を保存しないで添付に書き込んでいたので、私に送ってくれた原稿はまっ白白。どうにもならない。大至急やり直しますと電話が入る。私は重くなりすぎたので、原稿を三つに分けて、取り敢えず削除して印刷をする。そこへ大高木さんがやってきて11時30分に出かける。

上田のデザインルーム・エム・水野さんの事務所で、印刷の打ち合わせで、本の見本を見たり見積もりの話をしに行く途中、今日の県庁での主要議題が印刷されていないことに気が付き、武石の事務所にいる妻に電話、水野さんの事務所に送ってくれと頼み、行ってみるとついていない。操作してもそっちに行かないという返事。昼食を取って再度確認するが遅れないと云われ、武石へ戻り確認する羽目になってしまった。

武石で確認すると重くて送れない状態だった。送らずに再確認すると大事な部分が消去されていてなかった。私があせって午前中消去していたのでした。どうにもならない。

書類がないまま2時過ぎ長野県庁へ出発。途中でテレビ信州から電話が入り、観郷ウォークの件でスポンサーをつけて良いですかと云われ、了解しますと返事をする。進めてもらっています。

県庁へ3時40分に到着。それぞれに伺って推薦依頼の話をすると、『せいしゅん村さんのやることは面白いことを計画しますね。これは良いですね』と言われ、胸を撫で下ろす。観光協会で恵崎常務と中国からのほっとステイ受け入れ手配を話し合い。こちらも着々です。

上田市へ19時前に帰り着き、市内で開かれていた会合、『うえだまちづくり推進会議』に出席。出席してみたら余りにも不甲斐ない話で、懇親会に出席する気持ちにならず、家に帰ることにする。20時前帰宅し、パソコンに向かうが消去した原稿を書き直すのは大変。23時、」目が痛くなってやめてしまった。


2005年7月 2日

●桃源郷街道 ハズレた

コモンズ支援金に 私達「信州せいしゅん村」の事業が採択されて 115万円の資金が
頂ける事になったと 新聞の朝刊に掲載されていた。有り難うございます。 でも「信州・
桃源郷街道」事業は 残念ながら不採択だった。 午前中、叔父さんが来て、松の盆栽
の手入れを教えて呉れる。 息子夫婦が 昨夜、爺ちゃんが心配なのでと 急に来た。
午後、トマトの縛り付け。支柱の運搬。桃の袋掛け。大豆の土寄せとやることだらけ。