2008年3月 9日

●果樹園で剪定枝を拾い集める

朝、堀さんが分析用のお米を取りにやってくる。留守中の仕事を片づけるのに半日もかかってしまう。嫌になります。

名古屋マラソンをテレビ観戦。初マラソンの中村選手が優勝し、目標に向かってひたむきに、他者をあまり気にせずやり抜く姿に、何か私たち信州せいしゅん村と同じ環境を感じてしまう。

午後から、昨日切り倒した木の枝と以前から剪定していた枝を拾い集める。結構しゃがみ込んだり立ち上がったりの作業は思った以上の重労働です。

4時45分から、大高木さんと袋詰めしておいた寒晒し蕎麦を軽トラックで運びに行く。28袋と32袋の60袋。小屋の中に運び入れておく。夕方までかかって終わらせ、その後、12日の大阪商談会の意見交換。

2008年3月 8日

●果樹園で不要樹を切り倒す

9時過ぎから、小さいハウスで乾燥していた、堀さんから届いた玄蕎麦の、寒晒しした蕎麦の実をふるいに掛けて大ゴミと石を除き、次に唐箕を掛けて風選し、小ゴミと砂と鳥の糞を除き、仕上げ作業を行う。

午後は取り込み作業を大高木さんも手伝った呉れ、蕎麦を秤に掛けて、袋に22.5㎏ずつ詰める。結構な仕事量でした。6袋もあった。

その後、果樹園でチェーンソーを使って、不要樹を切り倒す。私が農薬散布が嫌いなもので、どうしても木が傷んでしまいます。これがゆえに、切り倒すことが私の責任だと反省し、罪のない木を切ることは涙のでる作業で、とても辛いですね。暗々迄(暗くなり始めるまで)やって帰宅。
 
夜7時から、のうのうの会。今回は参加者は6人。意気軒昂に話し合う。特に宮下さんのジャム作りに対する熱意や見識には目を見張ってしまいます。

2008年3月 3日

●木曽郡王滝村にて

寒晒しした玄蕎麦を10kg量って農協へ製粉に出す。今日の3時には仕上がるそうです。精米の歩留まりや品質の出来を試したいので、近々打って食べてみます。

9時15分、大高木さんと二人で木曽郡王滝村に出かける。今回は『信州おんたけ村』のメンバーの皆さんや役場の皆さんに、10年前から始まった私たち信州せいしゅん村の地域活性化活動の動き考え方をお伝えし、行政と一体になった地域活動への取り組みを目指て欲しいと、こちらから呼び掛けて実現しました。12時20分に到着。

12時30分に『信州おんたけ村』のメンバーが集まり事前打ち合わせ。勉強会は1時から始まる。参加者は役場から教育長と再建室長や4人、おんたけ村のメンバー5人、受け入れ家庭4人。

何故、民間でやらなくてはいけないのか。何故、有志が始めなくてはいけないのか。何故、この取り組みから始めなくていけないのか。何故、協働作業にならないのか。何故、誘客活動をしなくてはいけないのか。何故、組織化をしなくてはいけないのか。何故、将来を予想をしなければいけないのか、のテーマについて、私からの一方的な発言のあと、活発な意見交換会というか話し合いが行われ、4時まで行い、解散。その後、胡桃沢さんたちと話し合いをさらにして、4時20分帰路につく。7時30分帰宅。

今日の勉強会が成功して呉れればと願っていますが、行政側に思いこみというか、間違った印象が強く残っていて大変ですが、どうでしょうか。

2008年3月 2日

●一日中、果樹園

日本農業新聞の朝刊記事に、私がブログに昨日書いた蕎麦の収穫量の事が、『山形県が独自支援』の見出しで第一面に載っていましたよ。そこには山形県の平均収量は47kg、全国平均は60kgで、山形県では栽培に力を入れて、収量を上げるために補助金を支給しますとの内容だった。

そこで改めて農水省のデータベースを検索。昨年08年は主産県の平均は69kg、山形は55kg、長野県は81kgとなっていました(さすが信州!)。昨日のお店も収穫目標を訂正しないといけないですね。

今日は一日中果樹園で剪定作業。遅くなってしまうと木に負担がかかってしまうので、もっと早くやらないといけないのですが、用事がありすぎて出来なくって困っていました。何故早くやらなければいけないかというと、木が水を吸い上げはじめてきてから枝を切ると、その切り口からポタポタと樹液が滴り落ちるのです。人間でいえば出血している状態かな。止血が出来ないと死んでしまいますね。だから果樹の生命活動が休止している冬の間にやるのです。

我が家の果樹園は、愉しむ果樹園ですからたくさんの種類の果樹を植えてあります。桃、カリン、梅、ナシ、リンゴ、サクランボ、サルナシ、ブドウ、洋ナシ、柿、キウイ。

皆さんは知っていますか。イギリスでは『紳士の嗜み』として果樹園の手入れをしているそうで、こだわりのジャムやチーズやジュースや・・・いろいろな自慢をし合っているらしいですね。果樹園での作業が、普段の生活と違いストレスを解消させることに繋がることになっているようです。兎に角、農産物を自分で栽培して収穫し、自分で加工して自家用にしたり周りに配ったり、農業を楽しんでいるようです。

ところでイギリスは1961年には食料自給率が42%まで割り込んでいた国ですが、1996年は79%の最高値を記録し、2002年はちょっと下がりましたが、なんと74%になっています。自給率はイギリスの国策で高まったのですが、人々の農業への関心が高まり、イギリスの皆さんが農業への取り組みを改めてやり始めたからでしょうね。色々と積み重なった結果がイギリスでは良い方向になったので、紳士の嗜みから生み出される『こだわりの品』ができるのですね。羨ましい。

日本もこれからこのような事への強まりが始まるのではないでしょうか。農業が見直されますよ。皆さん始めませんか。信州せいしゅん村では、このような方にお手伝いをしています。お気軽にお尋ねくださいね。

2008年2月27日

●長野県庁へ届ける

朝、昨日届いた「ふるさと回帰予備校」の教本を車に積み込み、8時30分、小雪が舞い降りていた道を長野市に向けて出発。スリップしそうで怖い状態。

10時、テレビ信州で支社長の羽田さんとお会いし、ふるさと回帰予備校の教本を手渡す。観郷ウォークの開催について、これからの予定表を送っておいて欲しいし、ほっとステイの受け入れ予定も送って欲しい。予定表に基づいて収録の予定を立てて、皆さんの活動への協力をしますと言って頂く。アリガトウゴザイマス。

10時45分、信濃毎日新聞の事業局の吉川次長にふるさと回帰の教本をお渡しし、観郷ウォークの件も話す。教本を使った事業も計画しませんかと申し入れたら『良いですね、何とかしたいですね』。そして『観郷ウォークの皆さんの事業計画をください。事業費の負担も出来るかも知れませんね。ほかの場所で開催も考えられますか』と言っていただく。勿論いいですよ。どんどん行きましょう。

11時30分、県庁で農政部農村振興課に教本を届ける。熊谷さんが大変喜んでくれ、課長や代理も一緒に見て頂いて、県の計画にも取り上げてありますよと話される。初耳なことなので驚くと、計画書を提示される。しっかりと計画された中に私たちのことが取り上げられていて光栄なことです。春になったら現地(武石)に足を運んで、寒晒し蕎麦、寒晒し純米酒、ふるさと回帰予備校やほっとステイ事業を確認したいと言っていた。是非来て下さいね。

11時50分、観光部観光振興課へお届。田舎暮らし案内人の若林さんが『早速これを使います』と言っていた。役立てて下さいね。

12時、長野県観光協会へ届ける。各地の情報センターへ送りますとのこと。お願いします。

12時30分、職員センターで中澤さんと九州の商談会参加について再確認。

1時10分、菅平プリンスホテルの大久保社長と食事。『一緒に食べないと怒られてしまう?から』と。実は本当は話をしたいんだって。ふれあいが人を成長させると云いますから、どんどんお話しましょう。

2時から、県職員センターで今度の3月4・5・6の九州での商談会とキャラバンの打ち合わせ会に出席。ファイルをみんなで作り上げ、茅野の観光連盟の横川事務局長jと九州の商談会が同じ班で行動することになったので、今後の段取りとを話し合う。心強い方と一緒で助かります。協力し合って誘客に結び付けましょうね。」

3時30分、終わって長野駅で切符を買いに。3人分を購入するのに30分も掛かってしまう。支払った代金は44500円。切符は8枚でした。

4時50分、長野の吉川次長に『教本を上田支局に届けてくれ』と言われていたので、初めて信濃毎日新聞上田支局へ顔を出して、ふるさと回帰予備校の教本をお渡しする。以前から顔見知りの百瀬さんが取材してくれた。

6時過ぎ、デザインルームエムへ行って、水野さんと夕食を取ることになって、レストランへ。『教本では本当にお世話になりました。おかげさまで素晴らしい評価をいただきました。これも水野さんのおかげです。これからもよろしくお願いします』。


2008年2月25日

●寒晒し米のグルテリン分析依頼

9時に大高木さんがやってきて寒晒しについて打ち合わせ。引き続いて新潟県の農水省北陸センターへ電話して、低タンパクのお米で、低グルテリンの『春陽』を寒晒しにしたので、公表されている数値のグルテリンが、寒晒ししてどう変化したか分析してほしいと依頼し、受けて貰えることになる。10日から2週間ぐらいで分析して貰えるそうです。どんな数値が出るか楽しみです。

3時過ぎ、昨日伯母さんのところに取り付けたテレビが、分波器が別売りとなっていて、良く映らない不完全な状態なので、部品を買い入れて施設へ。

伯母さんのところで部品を取り付けたらハッキリと映った(当たり前?)。テレビが見られるようになったのはいいが、ベットで枕を下に、テレビを見ようとすると、テレビの置いてある位置が悪い。そこでベットを移動して位置を入れ替えることに。なんでもやりますよ。

帰宅して果樹園に出かけて行き、切り倒す木を見て歩く。消毒回数が少ないのでどうしても木も傷んでしまいます。切ったあとにはサクランボと栗を植える予定です。

〔だんちょう:掛川〕さんと久し振りに電話で話す。今日は市民会館が休みで、館長の掛川さんが休みなのは判っていましたので電話したのです。寒晒し蕎麦の『蕎麦食事会』を近いうちにやろうと丸子の人たちが云ってきたので、対処しようと話す。近々やる手はずを整えようと云うことになる。

6時過ぎ、〔こいみそや:安部〕さんが、手作り味噌2キログラムを持って来てくれた。東京の〔東京オフィス:磯野〕さんから依頼されたものです。お米も一緒に頼まれ、寒晒し米を送るつもりです。

安部さんは味噌作りに取り組んでいたのですが、今後は少しは味噌作りは続けるが、撤退してテンペ作りに精進していきたいのだそうです。『安売りされている価格からみれば4倍もするわけですが、生モノだから売る時期が限られてしまうし、原価計算すればこうなってしまう』。『自分で無農薬で大豆を作り、お米も武石産を使って仕込んでいるのでのこうなってしまいますよ』。だから味噌を売っての生活は成り立たないと受け止めざるをえないと考えているそうです。『農業は難しい、どんなに努力しても生活できていかないので、やっていかれない。子はかすがいといいますが困ったものですよ』。含みのある言葉を残してお帰りになる。


2008年2月21日

●悩みは次々と襲ってくる

先月中国からほっとステイにやってきた添乗員の王さんからメールが入っていた。(原文のまま)

信州「せいしゅん村」
むらおさ 小林様
シンセンCITSの王です。この度、大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。メールの返事が遅くになり、申し訳ありませんでした。

今回の修学旅行、いろいろ小林様に助かっていただき、本当に感謝の気持ちがいっぱいです。実は帰国の前日に小林様にお別れの電話をしようと思ったら、間違えて、違う小林様(小林一洋)のところにかけてしまいました。(笑)残念でした。

今後良かったら、ぜひまた修学旅行のホームスティをせいしゅん村にお願いしたいと思っております。私は修学旅行を主に担当していますので、またお会いできると思います。ご期待に応じえるように頑張ります。よろしくお願いします。

ご家族の皆様にもよろしくと伝えてください。今後ともよろしくお願い申し上げます。

追伸:もしご機会がありましたら、ぜひ家族の皆様と一緒に中国に旅行しにきてください。中国で皆様との再会することをお楽しみに待っております。

では再見!(笑)

12時過ぎ、信州しあわせ村真田の斎藤さんと、この3月に行われる「招待験会」の案内状について、文章表現やスケジュール等の内容について話し合い。中途半端でやっていると相手側から不信感を買ってしまうので、しっかりとやって欲しいとお願いする。

午後1時過ぎ、袋に取り込んである寒晒しの玄蕎麦を、秤にかけて22,5キロづつ計量する。2時、作業の終り頃に増子塗装さんが集金にやってくる。お茶を飲みながら話を聞くと、腎臓病を患ってしまい、機能が三分の一駄目になっていると宣告され、これからはしっかりとした食事制限しないと、人工透析が始まる様になってしまうと嘆いていた。

たまたま私は今年から、腎臓病を患っている人用に、お米で低蛋白質の『低グルテリン米・春陽』を栽培しているのでお譲りしますよと声を掛けてあげる。確か真壁さんが精米機を持っているので、貰っちゃいましょうと云うことになり、電話すると『いいよ、持って行って』と快諾を頂く。申し訳ありません、みんなで助け合いましょうね。

積み込んだ蕎麦を小諸に向けて出発しようとしたら、王滝村の増田さんから電話が入り、明日お話を伺いたいといわれる。信州おんたけ村の総会に村長が出席する予定になっているらしい。分りました、会いましょうと返事をする。

3時過ぎ、寒晒し玄蕎麦13袋292,5キロを軽に積んで小諸の大西製粉へ運んで行く。社長は小諸市の観光協会の副会長をやっているので、お茶を飲んでいるとついその方向に話しが向いてしまいます。10年間でお客様の傾向はどう変わりましたか。10年後はどう予測しますかと切り出す。難しいといわれてしまうが、それをやって積み重ねて、ようやく信州せいしゅん村活動の10年が今日の成果ですよと伝える。

佐久の橘倉酒造の社長と今年の仕込み量について電話で話し、来週27日に再度伺って計画を進めささて貰うことになる。社長は作るのは簡単だが、どこに売り込むのかしっかりして決めていないと駄目ですよと忠告をしてくれた。その通りですね。

信州銘醸の滝沢さんに、昨日運び込んだ原料から試食用に2升を避けといて欲しいとお願いの電話をすると、もう仕込み作業が始まっていて、できませんといわれる。ゴメンナサイ。ところで詳しい説明があるので、明日の契約所要時間は30分では短いので、土曜日に伺いますといわれ、何に説明を加えるのと問い合わせると、原価計算ですとのこと。昨年の3倍弱を仕込むので安くなると思っていたのに、寝耳に水のこととはこのことかな。

真壁さんのお店に行って精米機を譲り受けてくる。増子さん用に使えるかな?

県の観光協会からメールが入っていて、埼玉の高校生が修学旅行にやってきたいので、関係資料を欲しいと依頼だった。早速送り、制約になるようにとお願いする。

農業普及センターの桜井さんに、寒晒ししたお米の成分分析をしてみたいので、分析できる所の紹介をお願いする。長野の食品工業試験場を紹介していただけることになった。

2008年2月16日

●山梨県に行く

9時に家を出て山梨県に妻と息子の3人で向かう。息子が久し振りに休みになったので家族で出掛けようと、何処へ行こうかなと考えて、最初は北陸の氷見へ行って魚でもを食べようかと思ったのですが、雪が降って動けなくなるといけないので、山梨に行ってみようとなったのです。

12時前に山梨県立美術館へ到着、昼食を食べずに見て回ることにする。新収蔵品展が開かれていて、近藤浩一路画伯の墨絵が飾られていて、懐かしさを呼び起こす心象風景のような絵は惹かれるものがありました。常設展では、かの有名なミレーの『種まく人』が飾られていて、見応えのある美術鑑賞でした。

そばの食堂で『ほうとう』を食べようとしたのですが、『忍野そば』が美味そうだったので食べてみました。私も10割蕎麦をテレビスタジオの生放送で打っていますので、蕎麦がメニューに載っているとつい食べてみたくなってしまうのです。

結果は大外れ。名前は蕎麦ですが名前だけで、これでは蕎麦という名前が泣いてしまいます。まだこんな蕎麦を出している店があるのかと思うとあきれ返ってしまします。皆さん本物の蕎麦を是非食べて下さいね。私たちは江戸時代に徳川将軍家に献上されたと資料に残されている『寒晒し蕎麦』を作って食べています。これを食べれは普通の蕎麦はだいぶ見劣りしますよ。ご賞味あれ。

食べ終わって昇仙峡に行く。冬の昇仙峡は人がほとんどいなくて静かなものです。最初はだれにも会わないので、『あれっ、可笑しいな?』と感じるぐらいで、物言わぬ佇まいは、こんな私を大事にしてよねと訴えているようでした。

帰りは千代田湖から下って甲府盆地を見下ろしました。快晴で見通りが利き、富士山に笠雲が立ち昇り、眼下に白い建物群が立ち並ぶ甲府盆地の家並みがとても綺麗で、見飽きない光景でした。こんな風景の連続は心を癒してくれますね。

山梨で見るポスターは桃の花だらけで、ここが桃源郷だと訴えていましたが、私たちは『信州・桃源郷街道』と称して、唐の詩に書かれている『桃源郷』といわれる『田舎のたたずまいが残る集落』を結ぶ道を桃源郷街道として、訪ね歩いて欲しいと願い、来訪を呼び掛けています。こんな信州の素敵な桃源郷の様な田舎にもお越し下さいね。

2008年2月11日

●教本が印刷に回ります

朝から昨夜やった『ふるさと回帰予備校』の教本の直しを再チェックする。11時に水野さんが訂正本を受け取りにやってきてくれた。これが最後の訂正ですねと言ってお渡ししたが、そうあって欲しいですね。ほっとステイアルバムのゲラも持ってきてくれて、再確認したがOKでした。

玄関の庇から雪解け水が漏れてきたので、点検したら雨樋が凍っていて、詰まっていたので取り除く。今日は日中の気温が5度を越していて、久し振りの温かい日だった。

午後、寒晒しで使った玉ねぎネットを片付ける。袋の中に残っていた玄蕎麦を取り出し、形を整えて丸めて束ねる。1時間30分も掛かる作業でした。

お茶を飲んだ4時過ぎ、パソコンに向かい、13日14日の名古屋で行われる観光商談会の営業資料を作る。

2008年1月25日

●目が痛いです

一日中、本の原稿を書く。さすがに目が痛くなってしまう。
毎日新聞の「トクプレ」の原稿が届きました。さすがデザインが違いますね。格好いいですよ。

小諸の大西製粉の社長と今年の『寒晒しそば粉』の商品化について電話が入る。200㎏ほど玄蕎麦を欲しいとのことで、調整してお譲り出来るか検討しますと返事をする。

県の農政部に教本の裏表紙に県の推薦状を書いて頂きたいので、来週の月曜日にお伺いたい、とお聞きし了解を得る。完成形の原稿を持ち込み、目を通して頂き、なんとかお願いするつもりです。

寒晒しそば焼酎『寒九郎』の製造量について佐久の橘倉酒造の井出社長と相談。純米酒のことも含めて、お伺いして決めましょうと言う事になった。

夕方おばさんのところへ妻が作った『炊き込みごはん』を持って母親と一緒にお見舞いに行く。すっかり元気になってきて意気軒昂。自宅で一人暮らしができると言いだして、考えていた段取りを否定して暮らしは変えなくても今まで通りの暮らしができると言い張り、最後は説得を諦めて帰ってくる。

2008年1月 1日

●明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
爽やかな日差しを浴びて新年を迎えました。

次男が元旦から出勤となり、朝6時30分に家を出て勤めに出て行き、そのお付き合いで例年の大晦日の晩は深夜まで起きていて、元旦は朝寝坊をしていたのに今年は早起きし、長男夫婦が今日お昼を食べてから帰る予定で、日中にお土産として10割蕎麦を打ち、持ち帰って貰う予定をしていたので、それを打ちました。

打ち終わりになってきたときに、東の窓から朝日が差してきました。

大晦日は各地で冬の低気圧の影響が出て、広島県三次市では大雪になっていたり、この近くの白樺湖では30センチも降ったと聞きましたが、年末からほとんど降らず、この地は穏やかな新年を迎えたのです。

見事な日差しが差し込んできてくれ、久し振りに太陽の恵みにウットリしてしばらく見入り、そして考えてしまいました。

地球温暖化の影響が地球の将来に暗い影を落としていると気付き始めた人々が、何とかしなければいけないと行動に移し始め、それが声高に叫ばれ始め、今年はそれがどしどしと実行に移されるでしょう。

私たちが今取り組んでいる「ほっとステイ」「観郷ウォーク」や「桃源郷街道」の訴えが、より理解される年になって行くと思われます。

大事な一年が始まります。(おひさまが教えて呉れた?)

寒いそば打ち場の作業を30分で終えて、台所の薪ストーブのガラス越しの火にかざし、冷めた手を温めていて揺らぐ炎に見入っていて、メラメラと燃え上がる様を見て又気がつきました。少しずつ燃え上っていくものだと。そして大きな炎となって燃え盛って行くものだと。

今年も頑張りますので、
皆様ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

2005年7月 3日

●新たな蕎麦栽培畑

朝5時30分から せいしゅん村のメンバーで 蕎麦を栽培するところの草刈り。 今期は
新たに開拓団で開墾した所も 今年は蕎麦の栽培を行います。 そこの場所を 中学
時代の同級生、林幸男君が ミニバックホーを持っているので 起こして貰う事にする。
息子が帰るので お土産の用意。午前中、桃の袋掛け。 午後、開墾した所のクヌギの
木も、大木を腰掛けにしようと 掛川さんと「耕心館」へ運ぶ。桃の袋掛け全部終わる。