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2008年2月29日

●事務所で話が弾む

朝一番で武石地域自治センターに『ふるさと回帰予備校』の教本を届ける。そのあと商工会に同じ様に届け、教育事務所にも届ける。

教本を送り届けるリストを作成。各所に送る。どんな反響が寄せられるか楽しみです。

〔じゃむや:宮下〕さんが、毎日新聞への広告掲載について相談に来る。宮下さんだけで負担して広告を出すか考えてみたいとのこと。ただ広告は統一した名称を使った方が広告効果が上がるとの認識では一致。今後どうするか検討をしていくことになる。

信州大学感性工学科の上条先生と、今計画している桃源郷街道の評価判定について、明日の1時30分からの研究会に先立って、10時から信州大学の繊維学部の研究棟でお会いし、話をすることになる。工業試験場の北沢さんも同席して貰うことになる。こちらも吉澤さんと大高木さんが同席して話し合います。

3月4日に県観光協会主催の九州での商談会が行われるが、その足で5・6日に訪れる熊本の県立高校が入試で訪問できないことが判って大慌て。青木の宮下さんたちは大分県に訪問先を変更することになったが、私たちだけは熊本の私立高校へ行くことになり、複雑な心境です。

〔ぶどうや:鈴木』さんが、寒晒し作業の件で、午後一番で打ち合わせに立ち寄る。広告方法や法人化、農作業、農法、品種の話が弾み、長引いてしまい3時を回って帰る。冬だから暇だそうです。

奈良の横井先生より内閣府の行う予定の事業の資料が送られてくる。読んでみると私たちが目指している方向に合致しているのですが、申請して採択してもらうには大変な仕事になると思う。
良く考えてみないといけないです。

依田窪南部中学校の依田教頭先生と来年度の授業で、協力してやることができないか検討していますと呼びかけられる。是非やりましょうと返答する。

2008年2月28日

●寒晒し・大学・教本、急がしい

本当に忙しい一日だった。体がもう一つ欲しいぐらいで、どうにもならない。

急遽9時から、寒晒ししていた玄蕎麦を昨夕水分計で見たら12~14%になっていたので、過乾燥になってしまうので取り込むことになり、その手配を行って、王滝村の胡桃沢さんと3月3日に勉強会の準備について話し合い.。そして寒晒しの乾燥場の現地へ。

鈴木三千夫さん、飯田さん、鈴木孝男さん、大高木さん、尚子さん、私の6人で、紙袋に入れては量っての作業を繰り返し、全部で1850kg。11時30分までかかる。今年の寒晒しは量が多くて大変だったが、何とかやり終えました。トータルは、お米は24俵、玄蕎麦は2300kgです。先日茅野市で行っているのが新聞で紹介されていましたが、500kgとなっていましたので、私たちの方が7倍ぐらいやっていることになるわけですね。もっと精進しますのでよろしく。

そのあと12時15分まで、大高木さんと焼酎の仕込む数量について話し合ったり、今度の2日に東京の有楽町で行なわれる県のふるさと回帰のシンポジュームについて、県の担当者や立科の吉澤さんと情報交換。いろいろな相談事が出てしまい、時間がかかってお昼も食べている時間が取れなくなってしまう。

午後は、大高木さんには佐久市の橘倉酒造さんに行って貰い、私は1時からの長野大学の地域連携センターで協力者会議に出席。行政や高大との連携は報告があるが、民間の方は取り扱い方すら決まっていない状態では、民間から持ち込まれないことになってしまう。このあたりをしっかり対応して貰いたいの申し入れ。大至急整えていきますと言っていただく。

会議後、三田先生とこれからのコラボについて話す。春から学生さんと統計等を集めて、効果を計る部分を受け持って行きたいとお答頂く。再度半日ぐらい時間を取って話をすることになる。

上田市役所へ行って、農政課長、観光課長、企画局長、秘書課長、公園緑地課長に「ふるさと回帰予備校の教本」を届ける。

4時に信州銘醸さんへ伺い、飯田さん、鈴木さん、大高木さんの4人で寒晒しの麹の出方を拝見させてもらう。杜氏の西沢さんとお話しする機会があり、昨年の仕込みの状態と今年を比べてどうかとお尋ねする。去年もあれで面白かったかな?とのこと。The幸村は進化するお酒ですということかな。

4時40分、地方事務所で、商工課、農政課、地方事務所長、企画課、副所長にふるさと回帰予備校の教本仕上がりを披露方々お礼を言ってくる。どこでも感心していただく。所長とは『これからですから、よろしくお願いします』と、今後の協働をお願いする。

2008年2月27日

●長野県庁へ届ける

朝、昨日届いた「ふるさと回帰予備校」の教本を車に積み込み、8時30分、小雪が舞い降りていた道を長野市に向けて出発。スリップしそうで怖い状態。

10時、テレビ信州で支社長の羽田さんとお会いし、ふるさと回帰予備校の教本を手渡す。観郷ウォークの開催について、これからの予定表を送っておいて欲しいし、ほっとステイの受け入れ予定も送って欲しい。予定表に基づいて収録の予定を立てて、皆さんの活動への協力をしますと言って頂く。アリガトウゴザイマス。

10時45分、信濃毎日新聞の事業局の吉川次長にふるさと回帰の教本をお渡しし、観郷ウォークの件も話す。教本を使った事業も計画しませんかと申し入れたら『良いですね、何とかしたいですね』。そして『観郷ウォークの皆さんの事業計画をください。事業費の負担も出来るかも知れませんね。ほかの場所で開催も考えられますか』と言っていただく。勿論いいですよ。どんどん行きましょう。

11時30分、県庁で農政部農村振興課に教本を届ける。熊谷さんが大変喜んでくれ、課長や代理も一緒に見て頂いて、県の計画にも取り上げてありますよと話される。初耳なことなので驚くと、計画書を提示される。しっかりと計画された中に私たちのことが取り上げられていて光栄なことです。春になったら現地(武石)に足を運んで、寒晒し蕎麦、寒晒し純米酒、ふるさと回帰予備校やほっとステイ事業を確認したいと言っていた。是非来て下さいね。

11時50分、観光部観光振興課へお届。田舎暮らし案内人の若林さんが『早速これを使います』と言っていた。役立てて下さいね。

12時、長野県観光協会へ届ける。各地の情報センターへ送りますとのこと。お願いします。

12時30分、職員センターで中澤さんと九州の商談会参加について再確認。

1時10分、菅平プリンスホテルの大久保社長と食事。『一緒に食べないと怒られてしまう?から』と。実は本当は話をしたいんだって。ふれあいが人を成長させると云いますから、どんどんお話しましょう。

2時から、県職員センターで今度の3月4・5・6の九州での商談会とキャラバンの打ち合わせ会に出席。ファイルをみんなで作り上げ、茅野の観光連盟の横川事務局長jと九州の商談会が同じ班で行動することになったので、今後の段取りとを話し合う。心強い方と一緒で助かります。協力し合って誘客に結び付けましょうね。」

3時30分、終わって長野駅で切符を買いに。3人分を購入するのに30分も掛かってしまう。支払った代金は44500円。切符は8枚でした。

4時50分、長野の吉川次長に『教本を上田支局に届けてくれ』と言われていたので、初めて信濃毎日新聞上田支局へ顔を出して、ふるさと回帰予備校の教本をお渡しする。以前から顔見知りの百瀬さんが取材してくれた。

6時過ぎ、デザインルームエムへ行って、水野さんと夕食を取ることになって、レストランへ。『教本では本当にお世話になりました。おかげさまで素晴らしい評価をいただきました。これも水野さんのおかげです。これからもよろしくお願いします』。


2008年2月26日

●肺ガンで、手遅れ。手術ができない。教本が届く

朝からほっとステイ受け入れ家庭に配布する確認書の手直しを行う。9時過ぎに大高木さんもやってきて筑波の農林省の研究室へ電話して、グルテリンの分析の件で話しをする。昨日の新潟県燕市の施設を、ここが一番いいですよと紹介してもらい、電話を切る。良かったですね。

ほっとステイ確認書を配信後、税理士事務所の横関さんに見直しをしてもらったらまずい部分が見つかり、文言を一部訂正しなければいけなくなった。また手間がかかります。

マップを見て、昨日漁業組合の井出さんが電話を寄せてくれ、今日再度電話をいただく。マップの中で『スイメン=箱メガネ』を使っている写真を見て『違法漁を行ってはいないですか。モリを使って魚を捕ってはいけないですよ』とのことだった。勿論やってはいないし、受け入れ家庭にもだめですよと注意して使ってもらっていますと返事をする。『子供たちが川で水に親しまなくなって困っているので、大変結構なことですが、十分注意して楽しんでください』と楽しむことは喜んでくれた。

11時過ぎに、信州せいしゅん村のメンバーで、〔だいじん:伊藤誠吾〕さんがやってきた。てっきり佐久総合病院に入院していると思っていたのでビックリしてしまう。『あれぇ、どうしたの』。『追い出されて来ただ』。『えぇ、どうして。手術が終わって、落ち着いたらお見舞いに行こうと思っていたのにさぁ』。『肺ガンの手遅れだってさ。調べたら心臓に肺ガンがくっ付いていて、手術ができないだと。放射線治療も心臓があって放射できないんだってさ。抗がん剤治療をするだけの人は、ベッドが足りないので退院してもらって、通院をして貰いたいんだってさ』。『え・・・・』

昔から伊藤さんは気丈な元気な人です。メンバーリストでも紹介しているのですが、市役所を退職してこれからせいしゅん村活動に協力させてくれと申し出され、期待している人なのに悪魔に取り憑かれてしまったわけで残念です。『何かあったら連絡を呉れや。できることは協力するで』。と言ってお帰りにおなる。又よろしくお願いします。

ふるさと回帰予備校の教本が午後届く手はずになっていて、1時過ぎ、置き場所を確保する作業をやっていると、デザインルームム社長の水野さんが受け渡しの立ち合いにやってくる。ちょっと遅れますがといわれたので、事務所に寄り込んでもらってお茶。

そこへ中川さんと北原さんがふるさと回帰予備校の看板を掘り上げたのでと看板を持ってくる。
更に、増子塗装さんも教本と寒晒ししたお米を受け取りにやってくる。居合わせたみんなで看板の仕上げ方法を話し合い、再度中川さんたちに持ち帰って仕上げて貰うことにする。

ふるさと回帰予備校の教本5000部が届く。7人で手渡しで運び込む。ご苦労さんでした。事務所で封を解き、仕上がり具合を確かめながらお茶を飲み、ワイワイガヤガヤ。良くできた教本だと思います。県庁へ電話して、明日お届することになる。

増子さんには寒晒ししたお米をお渡しする。腎臓病に効果のある低タンパク米で低グルテリン米の『春陽』ですから、さらにお米の機能は高まっているはずです。効果が出るといいですね。

5時、伯母さんの入院している老健施設へ出かける。だいぶ慣れてきた様子で安心しているのですが、3月いっぱいで家に帰ると言ってやみません。主治医は4月いっぱいはいて貰わないと、回復しませんからといわれているので困ってしまいます。説明するとわかるのですが、すぐに忘れてしまうようです。仕方有りませんけれど。

そのあと、入院しているお袋さんのところへ顔を出す。入った時より半分ぐらいの痛みになったらしい。早く完治してくれればいいなあ。

帰宅したら〔じゃむや:宮下〕さんが立ち寄ってくれていた。『三宝柑』のジャムを作ったが、入れ忘れの失敗作と上出来作の二通りを置いていってくれました。味比べが楽しみになりますね。

2008年2月25日

●寒晒し米のグルテリン分析依頼

9時に大高木さんがやってきて寒晒しについて打ち合わせ。引き続いて新潟県の農水省北陸センターへ電話して、低タンパクのお米で、低グルテリンの『春陽』を寒晒しにしたので、公表されている数値のグルテリンが、寒晒ししてどう変化したか分析してほしいと依頼し、受けて貰えることになる。10日から2週間ぐらいで分析して貰えるそうです。どんな数値が出るか楽しみです。

3時過ぎ、昨日伯母さんのところに取り付けたテレビが、分波器が別売りとなっていて、良く映らない不完全な状態なので、部品を買い入れて施設へ。

伯母さんのところで部品を取り付けたらハッキリと映った(当たり前?)。テレビが見られるようになったのはいいが、ベットで枕を下に、テレビを見ようとすると、テレビの置いてある位置が悪い。そこでベットを移動して位置を入れ替えることに。なんでもやりますよ。

帰宅して果樹園に出かけて行き、切り倒す木を見て歩く。消毒回数が少ないのでどうしても木も傷んでしまいます。切ったあとにはサクランボと栗を植える予定です。

〔だんちょう:掛川〕さんと久し振りに電話で話す。今日は市民会館が休みで、館長の掛川さんが休みなのは判っていましたので電話したのです。寒晒し蕎麦の『蕎麦食事会』を近いうちにやろうと丸子の人たちが云ってきたので、対処しようと話す。近々やる手はずを整えようと云うことになる。

6時過ぎ、〔こいみそや:安部〕さんが、手作り味噌2キログラムを持って来てくれた。東京の〔東京オフィス:磯野〕さんから依頼されたものです。お米も一緒に頼まれ、寒晒し米を送るつもりです。

安部さんは味噌作りに取り組んでいたのですが、今後は少しは味噌作りは続けるが、撤退してテンペ作りに精進していきたいのだそうです。『安売りされている価格からみれば4倍もするわけですが、生モノだから売る時期が限られてしまうし、原価計算すればこうなってしまう』。『自分で無農薬で大豆を作り、お米も武石産を使って仕込んでいるのでのこうなってしまいますよ』。だから味噌を売っての生活は成り立たないと受け止めざるをえないと考えているそうです。『農業は難しい、どんなに努力しても生活できていかないので、やっていかれない。子はかすがいといいますが困ったものですよ』。含みのある言葉を残してお帰りになる。


2008年2月24日

●雪の思わぬ影響と入院対応

8時48分、休日なのに明日の仕事が、今朝から雪が降っているのでやり辛くなってしまうので、会社に出かけて雪かきをやってくると言って出掛けた息子から電話が入り、『車が雪道でスリップし、縁石を乗り越え、タイヤがまたいでしまって、身動きが取れなくなってしまったので助けてくれ』と云ってきた。

助け出しに行ってみると、カメさんが腹の下に石があって、バタバタしている様な状態。私の車で牽引して出そうとしたが、タイヤが縁石を乗り越えられず、車を手前に引っ張ってしまうだけ。近くに大屋の角龍さんの小屋があったので、連絡をして、そこから10センチの角材を3本借りてきて、ジャッキアップしたタイヤの下に敷き、引っ張ってみると見事成功。通りかかった人一人と会社の上司一人の4人がかりでの脱出劇でした。

原因を聞いてみると、突然鹿が飛び出して来て、避けようと急ブレーキを掛けてしまい、雪道だったので、スリップしてスピンし、縁石に乗り上げ、動けなくなってしまったとのこと。幸いにも対向車もなく、人も歩道を歩いていなかったので、人身事故にもならずに済んだので、不幸中の幸いだったようでした。帰宅したら10時30分過ぎだった。

昨日入院したお袋さんのところに顔を出してみると、同じような状態で頭を痛がっていた。原因が分からず不安だらけです。

そのあと伯母さんのところに顔を出してみると、冴えない顔で『わたし、おかしくなってしまいそうだよ』と訴えてきた。精神的に参っている顔で、『眠剤も安定剤も、今までは飲んでいたのに、取り上げられてしまって、飲ませて貰えないんだよ』と言っていた。同室の人が体調の関係で話ができない人で、テレビもないし、ボッーとしているだけで何もいいこともなく、困り果てている様子でした。

お世話をしてくれている方にお話しをし、ずっと一人暮らしをしてきているので、個室に移して貰い、テレビも買ってきて据えることで了解してもらう。老健施設はどのような生活をして過ごしていくのだろうかと分からずにいたのですが、食事風景を見ていても、誰もが寡黙でひたすら食べているだけでした。最小限の対応で運営しているのが分ります。伯母さんが入所したので、様子がわかったのでしたが、わからずに対応が遅れてしまって、伯母さんごめんなさい。1時前に帰宅。

2時過ぎ、上田へテレビや下着や食器を買いに行き、5時過ぎにそれぞれ買ってきたものを入院している人たちに、届けたり据え付けたりしてくる。

今日は寒くて、風が強くて、この冬一番の辛い一日だったかな。息子の車を助けに行った時も、風の影響だと思うけど、アカマツが倒れて電線に寄りかかっていて、中部電力へ電話して、対応をお願いをしました。明日朝の路面状態は最悪になるでしょうね。朝6時に会社に出かける息子に、気をつけろよと話すぐらいでした。ふるさと回帰予備校の教本の出来上がりが、26日の午後だと水野さんが連絡をくれた。楽しみです。

2008年2月23日

●寒晒し純米酒の契約

8時20分、大高木さんがやってきた。寒晒し純米酒『The幸村』の醸造依頼契約を丸子の信州銘醸さんとする予定なので来て貰ったのですが、なかなか来ない。昨日の顛末をいろいろと話していても来ないので9時10分に電話。予定の人は、土曜日なので遠慮してわざわざ来なかった様です。

9時40分、漸くやってきて、醸造依頼の細かいことを取り決めしようと話しを始めようとしたら、先日持ち込んだ時に私が『今年は昨年の試験醸造価格と違い、量産するので100円ぐらいは安くなるのかな』と言っていたことを受けて、『安くならないのです。なお高くなってしまいます』とのことで、説明を受ける。納得するしかなかったです。

今年は1000本ぐらいできそうです。契約内容は昨年と同様、売れ残った分は私たちが引き取ることになります。これも仕方ないですが、ここまで受け入れて貰える酒屋さんは有りませんので、贅沢は言っていられません。皆さん、味は昨年以上だと保証しますから、ぜひお買い上げください。今年は信州銘醸さんもThe幸村の売り込みに秘策を練っていただいているようで、とてもありがたいことです。1時間してお帰りになる。

お米の分析の件で大高木さんと話し合い。昨日の断りにくじけずに依頼先を探し、結果を出していこうということになった。

昨日のおんたけ村でのほっとステイ事業の総会について、多くの皆さんが思い違いをしている部分がはっきりしてきたので、電話にて話し合う。早急に解決していくことにしていきたいと連絡をし、近いうちに会合を持ちたいと思います。

ほっとステイの件で青木の宮下さんから電話が入る。2回続きのお葬式で1週間費やしたが頑張りますと云っていた。私も頑張って取り組みますのでよろしくお願いします。外は大荒れの天気で、吹雪が舞い散る天気になってしまった。

3時に婆ちゃんと病院へ行っていた爺ちゃんから電話が入り、『婆ちゃんが緊急入院することになった』と連絡が入る。朝から頭が痛くて痛くて困ったと言って、診て貰いにいくと出かけて行ったのでしたが、最悪のことになってしまい、慌てて病院へ出かけて行くと、相変わらず痛がっていたが、話ができる状態で一安心。1~2週間入院して様子を見るようです。

5時、真壁さんの「こっこちゃん(鶏)」に、昨日精米して出た「米選下」の屑米を餌として、二袋持って行く。私の米作は消毒を掛けないので、どうしても病気が発生し、歩留まりが悪く、1割位出るのが悩みです。

2008年2月22日

●木曾・王滝村の「信州おんたけ村」総会

朝一番で精米所に行き、寒晒しして精米に出していたお米が仕上がったので、精白にしたお米と玄米の両方を貰ってくる。事務所で大高木さんと、このお米の成分分析をして貰うことについて話し合い。大高木さんには長野市の食品工業試験場で、分析してもらうように持参して貰うことにする。

9時30分、忘れ物を取りに帰って、それを持って、私達と活動を共にしている木曽郡王滝村の「信州おんたけ村」の総会に向けて出発。行く道中は一本道で追い越し禁止なので、ゆっくり走っている車があると、とても思い通りに到着しないのです。

途中昼食を取って、1時20分にギリギリ到着。王滝村村長も出席して頂いて1時30分に始まる。むらおさ挨拶、来賓紹介、規約説明、理事紹介、19年度事業報告、20年度事業計画(案)、
その他の議事を無事終えて、2時10分。

引き続き、ほっとステイの受け入れ家庭を対象にした私の講演。予定1時間で50分間を一方的話し、残りを質疑応答としたら次々と質問がなされ、終わったら3時30分でした。質問者からは『小林さんの話に感激しました』などと云う言葉も頂き、本当に皆さんのやる気が伝わってくる総会でした。

おんたけ村のメンバー、胡桃沢さんと下出さんのお二人とコーヒーを飲んだ後、4時から王滝村村長の瀬戸さんと役場でお会いし、県から派遣された増田さんが同席の上、お話しをする。

『ほっとステイ』の仕組みや目指すことは大変評価してくれたが、取り組む姿勢やサービスの提供の仕方に対して理解ができないようで、『私は(自分の理解が)遅れているのかな』の言葉を何回も発する。村長や行政の立場の人が、今までのようでは駄目だと思っているとは思うのですが、そこから先が進まないようです。

行政が一身に村の活性化の課題を背負うことはしなくても、できる人、できる人たちに担ってもらっても良いと思うのですが、そう考えられないようで困ったものです。これが理解できたとしても、次はその活動から得られる対価に納得いかないようで、『儲け仕事が目的だから、邪だ』と云うのです。

活性化活動の目指すところは最終的には、活動を行うことによって利益を得て、そこで住み続けていかれることではないでしょうか。利益を得て暮す事が出来なければ、住民は行政が求めていると思われる活性化活動を続けることによって、擦り切れてしまいます。行政として住民が擦りきれないように財政負担をし続けられては行かれないでしょう。

究極の活性化活動は、自活できることです。いつものことですが、自活できる計画で活性化活動に取り組めば、思わぬところに障害があるとまたも感じさせられました。

5時45分、役場を出て、外で真田の余頃さんと20分電話し、帰路に着く。運転しっぱなしで9時少し前に我が家に無事到着。

大高木さんに頼んでやってもらう予定にしていたお米の分析は、依頼しようとしていた先が、その分析はできませんとのことで、断念していてくれた。どこで私たちの目的を達してくれるところがあるのだろうか?

2008年2月21日

●悩みは次々と襲ってくる

先月中国からほっとステイにやってきた添乗員の王さんからメールが入っていた。(原文のまま)

信州「せいしゅん村」
むらおさ 小林様
シンセンCITSの王です。この度、大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。メールの返事が遅くになり、申し訳ありませんでした。

今回の修学旅行、いろいろ小林様に助かっていただき、本当に感謝の気持ちがいっぱいです。実は帰国の前日に小林様にお別れの電話をしようと思ったら、間違えて、違う小林様(小林一洋)のところにかけてしまいました。(笑)残念でした。

今後良かったら、ぜひまた修学旅行のホームスティをせいしゅん村にお願いしたいと思っております。私は修学旅行を主に担当していますので、またお会いできると思います。ご期待に応じえるように頑張ります。よろしくお願いします。

ご家族の皆様にもよろしくと伝えてください。今後ともよろしくお願い申し上げます。

追伸:もしご機会がありましたら、ぜひ家族の皆様と一緒に中国に旅行しにきてください。中国で皆様との再会することをお楽しみに待っております。

では再見!(笑)

12時過ぎ、信州しあわせ村真田の斎藤さんと、この3月に行われる「招待験会」の案内状について、文章表現やスケジュール等の内容について話し合い。中途半端でやっていると相手側から不信感を買ってしまうので、しっかりとやって欲しいとお願いする。

午後1時過ぎ、袋に取り込んである寒晒しの玄蕎麦を、秤にかけて22,5キロづつ計量する。2時、作業の終り頃に増子塗装さんが集金にやってくる。お茶を飲みながら話を聞くと、腎臓病を患ってしまい、機能が三分の一駄目になっていると宣告され、これからはしっかりとした食事制限しないと、人工透析が始まる様になってしまうと嘆いていた。

たまたま私は今年から、腎臓病を患っている人用に、お米で低蛋白質の『低グルテリン米・春陽』を栽培しているのでお譲りしますよと声を掛けてあげる。確か真壁さんが精米機を持っているので、貰っちゃいましょうと云うことになり、電話すると『いいよ、持って行って』と快諾を頂く。申し訳ありません、みんなで助け合いましょうね。

積み込んだ蕎麦を小諸に向けて出発しようとしたら、王滝村の増田さんから電話が入り、明日お話を伺いたいといわれる。信州おんたけ村の総会に村長が出席する予定になっているらしい。分りました、会いましょうと返事をする。

3時過ぎ、寒晒し玄蕎麦13袋292,5キロを軽に積んで小諸の大西製粉へ運んで行く。社長は小諸市の観光協会の副会長をやっているので、お茶を飲んでいるとついその方向に話しが向いてしまいます。10年間でお客様の傾向はどう変わりましたか。10年後はどう予測しますかと切り出す。難しいといわれてしまうが、それをやって積み重ねて、ようやく信州せいしゅん村活動の10年が今日の成果ですよと伝える。

佐久の橘倉酒造の社長と今年の仕込み量について電話で話し、来週27日に再度伺って計画を進めささて貰うことになる。社長は作るのは簡単だが、どこに売り込むのかしっかりして決めていないと駄目ですよと忠告をしてくれた。その通りですね。

信州銘醸の滝沢さんに、昨日運び込んだ原料から試食用に2升を避けといて欲しいとお願いの電話をすると、もう仕込み作業が始まっていて、できませんといわれる。ゴメンナサイ。ところで詳しい説明があるので、明日の契約所要時間は30分では短いので、土曜日に伺いますといわれ、何に説明を加えるのと問い合わせると、原価計算ですとのこと。昨年の3倍弱を仕込むので安くなると思っていたのに、寝耳に水のこととはこのことかな。

真壁さんのお店に行って精米機を譲り受けてくる。増子さん用に使えるかな?

県の観光協会からメールが入っていて、埼玉の高校生が修学旅行にやってきたいので、関係資料を欲しいと依頼だった。早速送り、制約になるようにとお願いする。

農業普及センターの桜井さんに、寒晒ししたお米の成分分析をしてみたいので、分析できる所の紹介をお願いする。長野の食品工業試験場を紹介していただけることになった。

2008年2月20日

●寒晒し純米酒、the幸村

8時過ぎに信州銘醸の滝沢さんから、寒晒し純米酒『the幸村』を仕込むため、原料のお米を持って来て欲しいと連絡が入り、鈴木さんに仕上がり具合を確認。取り込みの手伝いに9時過ぎに3人で行くことにする。

9時、一昨日、火事になった家に隣組からのお見舞いを持って伺う。私が班長を仰せつかっているので、代表で伺ったのですが留守でした。帰り際に燃えた家の中をふと見ると、『煙り』が上がり始めているのを見て、慌てて親類jの人に伝え、バケツに水を運び消す。燃え残りが再び燻り出したのでした。怖いですね、畳から火が出ていました。

水曜日なので精米所が仕事をやっているので、寒晒し純米酒の原料を精米所に持ち込む。玄ソバにも手を入れてお昼5分前。帰りに精米具合を確かめるべく精米所に寄って、作業してくれている深宮さんに話を聞いてみると、『昨年の状態とは雲泥の違いで、とても良いものですよ。昨年飲んだ酒も旨かったが、今年は更に旨いものになるじゃーねーかい』と嬉しいお言葉。

寒晒し純米酒『the幸村』は、今年は昨年の反省を踏まえて、更なる対応をして寒晒し作業を行ってきたので、この評価がこのお酒の品質の新たなる飛躍につながることを願っています。皆さん楽しみにしてください。

12時過ぎ、長和の柳沢君と昨日の実務者会議の件で電話で話す。ありのままという言葉を本当に理解しないとやっていかれなくなってしまうよとアドバイスを送る。

1時前に、蜂蜜に水飴が入っているのではと、疑問を呈した先の販売したお店の総括マネージャーが担当者としてやってきた。危機管理が全くできていないのではと伝えると、髪の毛やビニールが混じっていれば製造者に商品を返して、それがどうして混ざったのか調べさせるが、今回のような『国産はちみつ』の内容物が違うのではといわれる対応はマニュアルにないので、対応を誤ってしまったと平謝り。日本食品分析センターへ分析依頼をして、農水省にもJS法の食品表示の誤りはないのか確かめますと言って帰る。頼みますよ。

3時過ぎに、午前中取り込んでおいた寒晒し純米酒『the幸村』の原料の残りを軽トラに積み込んで精米所に運ぶ。

真田の山崎さんと昨日の話の続き。受け入れ家庭を訪問して参加してもらう活動をしっかりとやりますと返事をもらう。

5時過ぎ、信州銘醸さんへ寒晒し純米酒「THE幸村」の原料を運んで行く。滝沢さんが立ち会ってくれ、昨年は驚いたが今年は全然違いますのと言ってくれた。

2008年2月19日

●本当に火事は怖い

昨日、火事で燃えてしまった『上のうち』の惨状を見る。母屋の東と西の両サイドが残っただけで、中央部は棟木まで吠え落ちてしまっている。よく何もかも灰になってしまったと云われますが、火事は黒焦げになった醜い姿が目に付くだけで嫌になります。片付けをするにしても大変です。

同級生の彼にお見舞いの挨拶をする。いつも住まわれているおばさんは、病気で手術を受けて入院中だったので、不幸中の幸いになっているのかも知れません。班の伍長をやっている私のところに、『班は違うが傍なので、隣組で家事のお見舞いに伺わなければ』と、近所の長老がやってくる。隣組の意見調整をして、お見舞いを差し上げることになり、私の家に届けてもらうことになる。

私の家に、近火見舞いにやってきてくれる人がたくさん。ご迷惑を掛けます、ありがとうございます。

13時、第23回桃源郷街道推進会議の会議に長和町に出かける。各地5支部の皆さんがやってきてくれ、全員揃うまでに商談会用で配る全地域を挟み込んだクリアーファイルを120部を作る。

その後、ほっとステイの報告やその質問に時間を費やす。まだまだ私を含めて未熟な部分を持っていますので、しっかり取り組まないと駄目になってしまいますので、責任者をはっきり決めて、各事項に取り組んでいきましょうと励ます。

中国のほっとステイ受け入れはどの受け入れ地も良かったと評価していました。


2008年2月18日

●東京へ、そして隣家の全焼

今朝は寒い。氷点下11度だった。久しぶりの寒さは身にしみます。

8時30分、家を出て上田駅へ。9時34分の新幹線に乗り込む予定で列車を待っていると、直前に妻から電話が入る。

『上のうちが火事で、全焼になってしまうよ』。『えっ、本当かよ。おばさんは入院していて留守だろう。どうしたんだ』。『息子さんが昨日帰って来ていて、帰ったようだよ』。『ふーん。ところで我が家は大丈夫かよ』。『風向きが西向きなのでこっちは大丈夫。消防が入り易くなるように、庭に停めてある軽バンを移動させて、入って貰うようにしてあるからね』。『そうか、それは良い対応だ。ほかの家にはどうだ』。『前のうちは大丈夫、上のうちの前の家はガラスが割れて大変みたい。家財も運び出したよ』。『そうか、気をつけとくれ。お手伝い(家事の炊き出し)もしっかりしてくれよな』。『ええ、大丈夫』。『いろいろお願いな、電車が来るからな。行ってくるよ』。

11時20分に近ツー東京本社での公立中学校商品説明会に伺う。35人の社員が待ち構えていてくれ、各地区のパンフを配りほっとステイと観郷ウォークの説明を行う。会議責任者の松井課長が言葉を補ってくれて、大変良い評価をしてくれていてありがたかったです。

昼食後、日本農業新聞の宗和さんを訪ね、ほっとステイ受け入れアルバムをお渡しする。チェックシートを見て『私がやってみます』とのこと。結果が楽しみです。

2時20分、再び近ツーの高校対象の会議の席上で説明をさせてもらう。これからが楽しみです。

3時過ぎに農協観光さんのグリーンツーリズム課へ顔出し。アルバムをお渡しし、誘客の資料として活用して下さいと差し出すと、『これは良いですね。さっそく今話しを進めている学校様にもっていきますよ。使えますよ、これは』。ありがたい評価、狙っていた通りに役立ちそうです。

信州銘醸の滝沢さんから、火事近火見舞いの電話が入る。驚いていた。寒晒し純米酒の仕込みについて、量をどのくらい仕込むか明日中に決めてほしいといわれる。原料の用意はできているので早速決めますと返事をする。中川大工さんからも心配してくれた電話が入っていた。心配していただきありがとうございます。

4時にイオンさんから電話が入る。『今日の会議が長引きそうで7時から8時になってしまいそうなのでどうしましょうか』とのこと。皆と相談し、今日のお話はしないことにしようと電話を入れ、断念を伝えると、担当の環境貢献の担当者には内容を伝えてあり、都合をつけ合って会って下さいと言われ、再度連絡とって都合のよいときに伺うことにして帰路に就く。

7時に帰宅。隣家の火事の様子を見てみると、無残に崩れ落ちていた。お気の毒で、言葉の掛けようもないぐらい。本当に残念です。

2008年2月17日

●ほっとステイアルバム、出来上がり

水野さんが届けてくれた『ほっとステイアルバム』と『チェックシート』を大高木さんと仕上がりを確認する。予想していた通りの出来で大変うれしいのですが、パンフの色は少し赤が強く、緑色が冴えない状態で少々がっかり。

でもこのアルバムは07年度の一年間を通じて受け入れた39校のシーンを、日を追って載せているので、見る人にとっては体験内容が一目瞭然で、訪れたい時期に何が行われているのかが分かるようになっていますので、検討する資料には最適でしょう。手にした人のコメントが楽しみです。

明日の東京営業の資料を整える。明日は近ツーと農協観光、時間があれば日本農業新聞に寄って、5時過ぎのイオンさんと会う予定です。

2008年2月16日

●山梨県に行く

9時に家を出て山梨県に妻と息子の3人で向かう。息子が久し振りに休みになったので家族で出掛けようと、何処へ行こうかなと考えて、最初は北陸の氷見へ行って魚でもを食べようかと思ったのですが、雪が降って動けなくなるといけないので、山梨に行ってみようとなったのです。

12時前に山梨県立美術館へ到着、昼食を食べずに見て回ることにする。新収蔵品展が開かれていて、近藤浩一路画伯の墨絵が飾られていて、懐かしさを呼び起こす心象風景のような絵は惹かれるものがありました。常設展では、かの有名なミレーの『種まく人』が飾られていて、見応えのある美術鑑賞でした。

そばの食堂で『ほうとう』を食べようとしたのですが、『忍野そば』が美味そうだったので食べてみました。私も10割蕎麦をテレビスタジオの生放送で打っていますので、蕎麦がメニューに載っているとつい食べてみたくなってしまうのです。

結果は大外れ。名前は蕎麦ですが名前だけで、これでは蕎麦という名前が泣いてしまいます。まだこんな蕎麦を出している店があるのかと思うとあきれ返ってしまします。皆さん本物の蕎麦を是非食べて下さいね。私たちは江戸時代に徳川将軍家に献上されたと資料に残されている『寒晒し蕎麦』を作って食べています。これを食べれは普通の蕎麦はだいぶ見劣りしますよ。ご賞味あれ。

食べ終わって昇仙峡に行く。冬の昇仙峡は人がほとんどいなくて静かなものです。最初はだれにも会わないので、『あれっ、可笑しいな?』と感じるぐらいで、物言わぬ佇まいは、こんな私を大事にしてよねと訴えているようでした。

帰りは千代田湖から下って甲府盆地を見下ろしました。快晴で見通りが利き、富士山に笠雲が立ち昇り、眼下に白い建物群が立ち並ぶ甲府盆地の家並みがとても綺麗で、見飽きない光景でした。こんな風景の連続は心を癒してくれますね。

山梨で見るポスターは桃の花だらけで、ここが桃源郷だと訴えていましたが、私たちは『信州・桃源郷街道』と称して、唐の詩に書かれている『桃源郷』といわれる『田舎のたたずまいが残る集落』を結ぶ道を桃源郷街道として、訪ね歩いて欲しいと願い、来訪を呼び掛けています。こんな信州の素敵な桃源郷の様な田舎にもお越し下さいね。

2008年2月15日

●集金&蜂蜜

休み明けの手配をして、10時に社会福祉協議会の担当者との話し合いに臨む。11時40分に終わり帰宅。

昼食前にやりかけていた工事代金の請求書を作り、昼食を急いでとり、上田のお客様の家に出向く。1時40分にお伺いし、お茶をいただきながら説明をし、振り込んでいただければ結構ですと話すと、用意をしてありますので集金していってくださいと言われ、ありがたく集金をさせてもらう。

3時に『蜂蜜』の件でお店に顔を出す。この蜂蜜は水飴が7割ぐらい入った不良品というか不正品で、とんでもない商品なので、抗議をしてあったのでお店に伺ったのですが、お店の仕入れ担当者はこれを販売者に送って調べて貰いますというので、あいた口が塞がらない。

販売者にこれを渡せば、私が気がつき、直接話したときに、『うちはそんなことありません』と言っていた相手なのですから、不正なんか正直に分析するわけがない。こちらで引き取って保健所に持ち込む。保健所では食品衛生でなくて、農政の食品表示の不正ですということで、農政の担当者とお会いすると知っている人だった。農水省を経由した対応になりますという返事で、了解して辞する。

5時30分、中川大工さん宅で欅の彫刻材の件で話す。

2008年2月14日

●旅行エージェント廻り

朝4時に目が覚める。昨夜早寝をしたせいかな。

8時45分、名鉄の名古屋支店の朝礼に参加し、自分たちの商品を説明させてもらう。

10時に近ツーのインバウンドの担当者に、中国向けのほっとステイと観郷ウォークの説明をする。まだまだこの商品の価値が知れ渡っていないと実感。

1時に日本旅行の教育旅行で説明をさせてもらう。2時近くまで説明し、1Fで一般対象の説明を再び行い、他の班との集合場所のホテルへ戻る。

3時過ぎに信州へ向けてバスが発車、7時30分に武石に到着。

まだまだやることが一杯あると感じた二日間でした。

2008年2月13日

●名古屋での商談会

朝5時30分過ぎ、立科の吉澤さんが到着、雪が降ってツルツルの中を松本へ出発。7時7分のしなのビュー2号に乗り込み名古屋に向かう。

豊田市に10時30分に到着。JTBの豊田支店へ顔を出しKさんに面会を申し込むと一日中会議とのこと。トヨタ自動車の展示場へ行き、新たな商品提案の試作車を見る。どこまで進化していくのかな。でもハードだけでソフトが全然反映されていないと感じてしまったが皆さんはいかがですか。

昼食を済ませて1時30分、トヨタ自動車の早川さんにお会いし、私たちのほっとステイと観郷ウォークの説明をし、ぜひ信州の私たちの地を訪れる計画を立ててほしいと依頼する。計画をJTBか名鉄さんと練って、提案してもらえば検討しますとのお返事をいただく。

2時過ぎに辞して名古屋に向かい、商談会会場のホテルへ4時にたどりつく。4時30分から説明会の受付を始め、5時から説明会が始まり私も説明を受け持ち発表をする。

6時30分からは懇親会が行われ、80人を超す盛大なパーティーになりました。姪が勤務している近ツーの支店長からは『彼女の成績が大変良く、社長表彰ものだ』と褒められ、自分でもうれしくなってしまう。しばらくしてから姪が会場にやってきて驚いてしまい、どうしたのと聞くと顔を出しなさいと言われてきたそうで、粋な計らいだったのかな。

8時過ぎに懇親会は終了。吉澤さんとラーメンを食べて早寝をする。

2008年2月12日

●妻の誕生日

朝から地元の依田窪南部中学校の学校評価に関する提案書を作成し、午後3時過ぎに中学校の校長先生と学校評価の評価方法のことで話す。来月5日に行われる会議の開催日は、私が福岡県での商談会に参加するので、欠席になってしまうので1時間も話してしまう。

4時15分、水野さんが教本とチェックシートの訂正版を届けてくれ、再チェックをしてくださいと言って、置いて帰る。大高木さんと見直してみると単純なミスが何か所も見つかり、再度訂正を加える。明日から二日間いなくなるので大変なことになってしまうところだった。

水野さんの事務所に再訂正の電話を入れ、夕食後7時過ぎに書類を届ける。水野さんはいなかったので真島さんに説明をして訂正内容を確認してもらう。

今日は妻の誕生日なのに何にもやってやれなかった。ゴメンナサイ。

2008年2月11日

●教本が印刷に回ります

朝から昨夜やった『ふるさと回帰予備校』の教本の直しを再チェックする。11時に水野さんが訂正本を受け取りにやってきてくれた。これが最後の訂正ですねと言ってお渡ししたが、そうあって欲しいですね。ほっとステイアルバムのゲラも持ってきてくれて、再確認したがOKでした。

玄関の庇から雪解け水が漏れてきたので、点検したら雨樋が凍っていて、詰まっていたので取り除く。今日は日中の気温が5度を越していて、久し振りの温かい日だった。

午後、寒晒しで使った玉ねぎネットを片付ける。袋の中に残っていた玄蕎麦を取り出し、形を整えて丸めて束ねる。1時間30分も掛かる作業でした。

お茶を飲んだ4時過ぎ、パソコンに向かい、13日14日の名古屋で行われる観光商談会の営業資料を作る。

2008年2月10日

●同級生が飲みにやってくる

大雪だ、15センチぐらいは降ったかな。雪を片付ける。

12時に伏見君夫妻が飲みにやってくる。昨年末に彼の家で御馳走になってきたのですが、年が変って早くやる予定でしたが、急がしさに紛れて延び延びになっていたのですが、ようやく今日出来る運びになりました。本当は夜の予定だったのですが、昨夜からの大雪で、雪が片付いたので『雪見酒』でやろうと、変更して来てもらったのです。

春から東京の本社に転勤になりそうで、どう対応するか悩んでいた。88歳の両親を残して夫婦で赴任する訳にもいかず、どう選択しようかなと言っていた。大変ですね。

帰った後、一寝入りしてしまったら夕食だった。

夕食後、県の熊谷さんから教本の手直しをFAXで頂いたので、手直しを7時から9時までかかって終了させる。それにしても熊谷さんにはありがたいことをやってもらって、感謝のしようもないぐらいです。

2008年2月 9日

●ふるさと回帰生活チェックシート

チェックシートの裏表紙につける『ふるさと回帰生活チェックシート』を作る。お昼までかかってしまった。水野さんに送る。

1時30分過ぎ、別所温泉へ名古屋の資料を届けに行く。会費も支払ってくる。

3時に帰宅。大高木さんが待っていたので事務所によって貰い、水野さんを待っていたが来ないので、来たら連絡するからと別れたらすぐにやってきた。時間は4時だった。

水野さんは教本の原稿を訂正したものを持って、打ち合わせに来てくれたのでした。出版屋さんが原稿を見て評価してくれて、『なかなかこういった形のものは作れない』と、褒めていたと情報を流してくれる。評価がいただければ嬉しいですね。

2008年2月 8日

●教本の最終校正を届ける

10時に入院しているおじさんのところに、お見舞いとこれからについて打ち合わせ。社会福祉協議会の方も見えて話し合いに乗ってくれた。

12時過ぎに上田の水野さんの事務所に、教本の訂正版を持って行く。これが最後の訂正ですから早く仕上げてくださいとお願いしてくる。

帰宅して昼食を食べ終わったら2時を過ぎていた。
ふるさと回帰の理解度チェックシートの裏表紙に、現地に立ってチェックする表を作る。

鹿教湯温泉の久保田旅館組合支部長と3月5日の東京での商談会の参加方法について相談。積極的に参加していくことで了承を得る。

2008年2月 7日

●県庁で教本を農政部長に披露

ふるさと回帰予備校の教本作りで、間違えて原稿を消してしまったので1ページ分を作り直すことになってしまった。6時から慌てて作り直し、10時に水野さんに送る。

10時10分、長野市に向けて出発。途中茅野市観光連盟の横川さんから電話が入り、名古屋の近ツーの担当者の方にお会いできますよと返事。他にも電話が入り、県庁へ到着したのが11時30分過ぎ。観光部の田舎暮らし案内人の若林さんに教本を見て貰い、その後観光協会へ行き、常務に見て貰い了解を頂く。先日中国深浅センからのほっとステイを受け入れして、テレビ信州が放映した映像を再度CDで見せて貰う。6分30秒もやっていた。凄い時間を使ってくれた。東京商談会の件を越さんに相談。12時30分退庁。

1時30分から、観光協会主催の「冬の楽しみ方研究会」に出席。信州の冬を提供する商品の意見交換を行う。4時前まで。

4時に農政部に行き熊谷係長に教本を確認して貰い、白石農政部長と話しをする。教本・蕎麦栽培・お酒作り・原産地呼称制度・直売所の事等を話す。5時過ぎまで1時間も喋ってしまった。課に戻り、農業支援の召田さんも教本に目を通して貰う。5時45分過ぎまで。

その後、観光協会へ行き、再度打ち合わせ。県庁を出たのは6時を廻った。

6時45分、上田市の水野さんの事務所で教本の原稿を大高木さんと再チェック。そして水野さんに渡し、説明を完了したら9時40分過ぎていた。

大高木さんと帰りに夕食を食べながら、これからの活動を話し合い、帰宅は10時30分過ぎだった。

2008年2月 6日

●別所温泉にて話し合う

県の観光協会川上さんへ明日の会議の資料を整えてメール。

10時過ぎ、別所温泉へ行き、上松屋の倉沢社長(別所温泉旅館組合長)と話す。終わり頃『じゃらん』の加賀屋さんが見え、同席で話しを行う。私たちの活動を聞いて驚いていた。是非取材させてくださいと申し込まれる。昼食を3人で頂き、帰宅。

2時に、真田の信州しあわせ村真田の斉藤さんが新しいパンフレットを作りたいと相談に見える。大高木さんも同席。今後の組織運営について意見交換を行う。

3時過ぎ、千曲氏の叔父さんが、依田窪病院へ入院しているおばさんの件で話しにやってくる。

作っているほっとステイアルバムの原稿を再点検。

7時30分、水野さんが教本の印刷見本を持ってくる。チェックをしながら今後の展開を話し合う。9時を廻ってしまう。

2008年2月 5日

●ほっとステイアルバム作り

ほっとステイの体験アルバム作りを一日中掛けて行う。

6時過ぎに漸く終わり水野さんに送る。

原稿も画像を24メガを越える重いモノになってしまった。でも、これは絶対必要なアルバムだと思っています。仕上がりが楽しみです。

2008年2月 4日

●中学校の評価委員会

昨日の残り雪が5センチほど降った。

午前中はネギとタマネギを蒔く。乾ききった土なので、水をバケツに20杯も運んで湿らし、そこに種まきをする。12時前ギリギリに終わる。

午後は屋根の雪下ろしと『ほっとステイアルバム』の作成。

3時からの地元中学校『依田窪南部中学校』の学校評議員会に出席。引き続き4時30分より、学校評価委員会が開催され、6時10分過ぎに終わり。先進的な取り組みをしていこうとする意欲が感じられる姿になってきて喜ばしいことです。学校長がやる気があればできるものですね。恐ろしく長く時間が掛かってしまったが、私が意見を喋りすぎたかな。反省します。

2008年2月 3日

●ミュージカル真田幸村

大雪だ。降雪12センチ。
8時過ぎから、育苗ハウスの水分補給と耕耘作業。転圧作業と地均し作業。これで種まき準備が完了。11時10分前に終了。

11時10分に家を出て、上田の『珈琲哲学』で昼食。13時に市民会館に到着。開演1時間前なのに既に満員状態で上手く座れる所がない状態。

真田陣太鼓の演奏を聴いて、14時からいよいよミュージカル『真田幸村』。初めてミュージカルを見たが結構いいもんですね。見終わって、帰宅は5時になった。

2008年2月 2日

●育苗ハウスの準備

9時に上田の大島さん宅へ行き、ふるさと回帰予備校の看板を依頼してくる。樋口種苗でネギとタマネギの種子を購入。10時に水野さんの事務所へふるさと回帰予備校の教本原稿の訂正版を持って伺う。初めて社長室へ通して頂き感激だと話したら大笑い『そうだっけ?』

午後は13時におばさんの入院している病院へ伺い、担当の金井さんと今後の施設入所について話し合い。おばさんも漸く自分の状況が判ってきて、以前とは違う捉え方をしてくれるようになった。

夕方まで裏の畑の種を蒔くハウスの片付け作業。暗くなる前に終わった。明日は播種するところへ水分補給を土地にしてやらないといけない。

2008年2月 1日

●なんでこんなに忙しいの

県庁から『ふるさと回帰予備校』の教本に手を入れて頂いた原稿が届いた。農政部長と観光部長の推薦文も届いた。念願が叶ってきます。

巴瓦屋さんの丸山社長がお茶のみにやって来た。世の中の景気が悪いが、自分の家も仕事量が十分の一だと嘆いていた。本当に景気が悪くて困りますね。

水野さんがふるさと回帰予備校の、教本の原稿の打ち合わせに1時過ぎに来た。

2時に信州銘醸の滝澤さんが、寒晒し純米酒『The幸村』の、今年の仕込量と販売について打ち合わせにやって来た。

4時過ぎにおばさんの入院先を退院するときに、次の入所先を確保しなければならないので、色々な施設を見て歩き、入院先のおばさんに報告に行く。6時を過ぎた。

9時に原稿の手直しが完了。熊谷さんにお礼の電話を入れる。